深夜、親たちが確実に寝静まった時間、双子たちは公民館を抜け出し、森の奥の書庫を目指した。
途中、何度も木の根につまずきながら、そのたびに姉が弟の、あるいは弟が姉の手をとって助け起こし、二人は月明かりだけが頼りの森を駆け抜けていった。二匹の動物のように。
書庫は森の奥の廃屋、その隠された地下にあるという。
そして、村を抜け出すための秘密が書かれた秘密の本が、書庫の奥には隠されているという。
その秘密の書の探索行に、双子の生命がかかっていた。
それはなぜか? この村で双子として生まれた者は、十二歳になると生贄に捧げられる運命だからだ。まだ誰も知らぬその書の力によって村を抜け出さなければ、双子は儀式の供物となるのだ。
その儀式は陰惨を極め、詳しい内容は私の倫理観の検閲に触れるため、ここに書き残すことはできない。だがその陰惨度は想像を五百パーセントは軽く超えた儀式であると、歴史記録官として数万年の歴史を知る者の立場から言わせてもらう。
文化相対主義的な観点においては、いずれの文化に邪悪も善も無いのだが、しかし私の経験上、その視点は端的に間違っている。文化には邪悪な文化がある。双子の住むその村の文化は端的に言って邪悪である。
何を根拠にそう言えるのか?
邪悪さと善、それを判別するための基準は何なのか?
それを本資料『Bw553』に記す余地はない。
ゆえにその問いに対してはこの『Bw553』ではなくて、別紙の論文、資料番号MD9345を参照していただきたい。そこに私からの可能な限りの明瞭な回答が記されているはずである。もしそれを読んだ後にもなお、善と悪は相対的なものであり、いずれの視点に立つかによってオセロのように裏返るものであると考える者がいるのであれば、私としてはもはやその者と語り合うことは何もない。おそらくその者は善悪というものを平面上の右と左というような、二次元的な枠組みの中で測られる概念としてとらえているのだろうが、私がMD9345で述べたように、善とは高さに関係した概念であり、悪とは低さに関連した概念であり、それは右左というよりも、高低に関係した概念である。
悪という低いものと、善という高いもの、それを同一平面上に並べることは、どのように観念を弄くろうとも出来るものではないのだ。この世には邪悪さというものが確固として存在しているのである。
だが邪悪さの中に生きる無垢な生き物は、得てしてその邪悪さを当然のこととして受け入れてしまう。いまだ夜の森を走り続けている双子のように。
双子の姉は明日で十二歳になる常春姫で、双子の弟は明日で十二歳になる無明眼だ。
彼らに村人としての名は無い。
生まれた時からその十二年後の儀式の朝まで、そのインセイン・リチュアル、すなわち陰惨儀式で使われる役名で呼ばれている。インセイン・リチュアルはこのイヴィル・ヴィレッジ、すなわち邪悪小村の精神性の根幹を為しているあのグレート・オールド・ダイアリー、すなわち大古事記に記載されている『常春姫の陰虐地獄降り』を再演するのが目的だ。
それを再演することによって、常春姫の八つ裂きにされた肉体から大地が再生し新たな収穫のサイクルに生命が吹き込まれると村民は考えているようだが、私の研究によれば実はそれは言い訳に過ぎず、単に『一度やってしまった悪事は反省するまで何度でも繰り返す』という人間の一般的な心理構造を、村民全体で何万年もかけてループ状に繰り返しているに過ぎない。
その儀式、そのリチュアルに何かしらの社会的な意味があるとするのは文化人類学者の穿った見方、あるいは現地人に騙されて吹き込まれた見方に過ぎない。しかし村民全体が一様に人を騙そうとする悪意を持って意識的に外部の人間を騙しているとは外部の人間には信じがたいものがあり、内部の人間たちにとってもやはり信じがたいものである。
ゆえに内外の人々は「きっとこの狂気には何かしらの意義があるに違いない」という、一見合理的だがその実、思考停止に過ぎない考えにとらわれて、「この儀式は狂ってる。その儀式を行う村民もまるまる完全に狂っている」という明白な真実から目をそらしてしまうのである。そして双子たちもその村民の一員であるため村民の狂気を共有している。双子たちは自分たちが明日惨殺されることを実のところアタリマエのこととして受け入れているのである。儀式。そのことに恐怖はあったが、歯医者の椅子に座る以上の臨場感を持って、明日のことを想像することはできないでいた。
だから、逃げ出そうだなんて思っていない。
ただ弟には純粋な知識欲があった。一度でもいいから、すべての物事の真実を知りたいと願っていた。だからひと目でいいから読んでみたかった。あの秘密の書を。宇宙の真理が書かれている本を読んで、自分がいなくなる前にすべての真実を知りたかった。
そして姉にはこの村では珍しいことに弟への純粋な愛情があった。だから姉は弟の願いを叶えてあげたかった。だから今夜、儀式の前日に、姉は弟の手を引き、連れ出し、公民館を抜け出して、走りだしたのだ。夜の森の奥へと。
「もう帰ろう、ハル。疲れただろ」
何度目か、大きな木の根に躓いた姉を、助け起こした弟が言う。
「なによ。疲れてるのはあなたでしょ、メイ」と肩で息をしながら姉が答える。
実のところふたりとも疲れきっていた。もう走れない。公民館を飛び出した時の、鬼から逃げるような高揚感は消えていて、重い疲労感が二人の心と体に蓄積されている。
近くから聞こえる獣の鳴き声、その方が、明日の儀式よりもリアルな恐怖をかきたてる。二人は鳥肌を立て、汗ばんだ身を寄せ合い、顔を見つめ合う。このままじっとしていれば、体内に埋め込まれた発信機が二人の居場所を大人たちに教え、双子は回収されるだろう。このまま走って書庫に辿りつけたとしても、秘密の本を一ページか二ページめくっている内に、大人たちが二人を見つけて回収してくだろう。
そして日が昇ると同時に儀式が始まる。
儀式の内容をどうしても知りたいという探索者は三次元時空資料VF3585を探すと良い。数世紀前に保存された儀式の様子がその時空間には記録されている。しかし見ないほうがいいと忠告はしておく。
その見ないほうがいい儀式に生贄にされるために回収されることの方が、暗い森で彷徨うことよりも、今、二人には魅力的に見えつつある。
二人の荒い呼吸が闇の中に響く。
姉と弟の歩く速度は一歩ごとに遅くなっていく。
もうあと一歩で、歩みを止め、ズタ袋をかぶった生贄回収人たちがやってくるのを木の根に座り込んで待っている以外、何も出来ないというところまで二人は疲れ果てていた。
だがそのときだった。
*
樹々の枝の隙間から月明かり以外の明かりが二人の目に届いた。
それは廃屋の門に吊り下げられた、燃えさかるランタンの明かりだった。
弟は姉を守るという名目で、姉の手をぎゅっと握りしめた。
姉は弟を目的地に連れて行くという名目で、弟の手をきつく握りしめた。
しかし実はふたりとも恐怖から相手の手を握りしめていた。
なぜなら廃屋は村にあるどの建物よりも邪悪な外見をしていたからである。
邪悪な外見とは何か?
具体的に書き記すことは難しい。なぜなら邪悪さを詳細に述べることはインセイン・フィールド、すなわち狂気磁場を本資料に定着させることであり、そのフィールドの発する狂気のフリークエンシー、すなわち重く錆びたのこぎりのような禍々しい周波数は、あなたがた探索者の心に悪影響を与えることは自明である。
インセイン・フィールドに飲まれた探索者は私の残したこの純正なる資料群から離れ、よりインセインな資料群、例えばVF3585の磁場に引かれ、しまいにはその重く深く救いようのない最闇のインセイン・フィールドへと、意識だけでなく身も心も引きつけられ、その資料の中へと存在全体を埋没させ、二度とその資料の持つ狂気の重力場から抜け出せなくなることは自明だからである。嘘だと思ったら三次元時空資料VF3585を覗きこんでみればいい。その時空間には正気を失った探索者たちがゴマンとたむろし、口からよだれをたらし頭からズタ袋を被り、公民館から逃げ出した姉と弟たちを追って、村の集会場から群れをなして森へと続く県道へと殺到し始めているところである。
もし彼らのようになるのが嫌なら、廃屋の邪悪さについては、また、村の儀式の陰惨さについては、ちらりと漠然と心の片隅で想像するに留め、気をつけて、その空想のクリスタルのような抽象性を保ちながらこの資料の先を読むがいい。
双子の姉は廃屋の門に恐る恐る近づくと、そこにかかっていたランタンを背伸びして手に取った。
そしてきしむ木戸を開け、廃屋の中へと足を踏み入れた。
廃屋の中は、村では嗅いだことのない異様な匂いがした。それは肉が腐れ落ちる腐臭だった。
しかしランタンで照らされた範囲に死体の影は無く、また腐臭など嗅いだことのなかった双子は危機感を意識に上らせることもなく、ただ動物的本能が注げる危険信号を無意識下に強く受け取りながら、廃屋を探索し、ついに二人を手招きしているかのような、地下室への入り口を見つけ、そこの羽根戸を開けて、きしむ階段を降りていった。
階段は螺旋状に地の底へと続いていた。
螺旋階段の左右の壁はその一面が書庫となっており、滑らかにカーブを描く木製の本棚がぐるりと螺旋階段を取り巻いていた。
双子はランタンを手に、足を進める。
一歩、二歩、階段を降りていく。
二人が下へと降りていく分、無数の書物の背表紙が、上の方へと回転しながらスクロールしていく。
ランタンの僅かな灯りが作る双子の影が、階段の手すりに、本棚に、この世の数多の星の数ほどもある本の背表紙に、それらの上に、揺れ動く闇を形作る。
その闇と一筋の灯り。
灯りのゆらめきとそれを取り囲む闇。それが我々に安息のひとときを思い起こさせる。
安息のひととき、それは双子にとってはもうそこで休むことは出来ない寝床の中である。
公民館には双子専用の寝床が用意されている。
今は空で、寝床は冷たくなっている。
双子はいつもその寝床で丸まって寝る。いつか訪れる儀式の日のことを考えまいと自らの内側だけを覗きこむように双子は同じ寝床の中で体を丸めて眠る。
すぐそばの姉の寝息を聞き、自分も寝息を立てながら、夢に落ちるちょっと手前の場所で、メイと呼ばれる無明眼は『もしも自分が普通の人間だったなら』という空想を夢見る。
空想の中でメイは何かの発見をしている。
発見、それは素晴らしいものだ。
メイは長年の研究の果てに、その発見にたどりつく。
発見したことは、村民に大きな利益をもたらす。
メイは自分が人々の役に立てて、生まれてきた意味を実感し、そして満足し、自分が存在している感覚に浸る。
メイがその空想を楽しんでいる頃、ハルと呼ばれる常春姫は、すでに眠りに落ち、寝汗をかいて、夢の中で苦しんでいる。
それは自分が普通の人間に生まれた時、自分には何も無くて、なんでもないから存在していないという夢だ。
ハルは誰かを助けて、自分が役だっているという感覚に浸ろうとする。
幸いにも弟は弱そうであり、彼を助けることでハルは安らかな夢を取り戻す。
今まで一度も実は現実では、ハルは弟の役に立つことをできなかった。
しかし今、ハルはランタンを持って、弟の一歩前を先導して、階段を降りている。
ハルは弟の役に立てているという夢が現実となり、かつてない満足感を感じている。かつてない興奮を感じている。
この螺旋階段の果てに隠し扉があり、その奥に秘密の書がある。
その秘密の書にはかつて誰も読んだことの無い秘密が書かれており、その秘密を知ったものはあらゆるものを超えることができる。
『あらゆるもの』
その中には、もちろん、村も含まれている。
だからその書を読んだとき。双子たちは村を脱出することが出来る。
しかしランタンの光は僅かな範囲を照らすばかりで、深く潜り続けていく螺旋階段はその先が闇の中に溶けている。
もうどれだけ歩いただろうか。
唯一、ランタンを持ち、眼が見える常春姫は、闇に飲まれて何も見えない無明眼の手を引き、闇の奥、地の中へと下り続けていく。
つないだ手のひら、汗ばんだその手のひらに、いままでのすべての感謝の気持ちを込めて、メイはハルの手をギュッと握り、もう片方の空いた手で、下から上へと滑らかに回転しながらスクロールしていく螺旋書庫から、一冊の本をふと抜き出す。
下降する動きは止まらない。頬を上気させたハルは、メイを奥へと導き続ける。
ゆえにメイは足を止めることが出来ず、明かりも無い、目も見えない中、『Bw553』と金で刻印されたその本の革表紙を、片手の指でそっとなぞる。