ブルーキャット、それは俺が開発したロボットのコードネームだ。
その名前にはあの青いネコ型ロボットのように、皆に親しまれるロボットになるようにとの願いが込められていた。
しかしどこで間違えたのだろう。俺が開発した青猫は人型の超絶セクシーロボになってしまった。青いショートヘアとよく動く猫耳がトレードマークだ。
その標準装備が気に入らなければロボストアに注文する際に、金髪、黒髪、なんでも好きなように取り替えることができる。
もちろん性別や年齢も思いのままに設定可能だ。
BTO、すなわちBuild To Orderで注文時にオプションを設定するのがもっとも手間暇かからず便利だが、購入後にオーナーの手によって、あるいはショップ持ち込みでオプション変更することも可能だ。
ただし性格の変更を購入後に行うことは勧められない。
ロボの脳は繊細なバイオ脳である。脳が稼働した後に、無理に性格の変更をすると、ロボは頭がおかしくなってしまいがちなのだ。
どうしても購入後に性格の変更をしたい場合は、思い切ってバイオ脳を初期化してしまった方がいい。あるいは別の新しいバイオ脳に取り替えてしまい、古い脳は中古ロボショップに売り払うのもおすすめである。
ちなみに俺の家では六体のブルーキャットと、二体の最新型レインボーフェニックスが稼働している。全員女性型だが、それぞれ違った外見を持ち、異なった性格を持っているため、俺は全員を個体として識別できる。それぞれに愛着も感じる。これらロボットには心も魂もないので性奴隷にしても何の問題もないし、それこそが我が社のロボットの主な用途である。
だが最近、その件に関して大きな問題が立ち上がりつつあった。
超絶セクシーロボを持ってしても、人間の心の渇きは癒せないということが最近の顧客アンケートで判明しつつあった。
しょせんロボはロボ、そんなものを性的パートナーにしたところで心のない非生物は非生物であり、黒板消しを性的パートナーにするのと本質的には何の代わりもなく、そんなことではどのような真の満足も得られないということなのか。
だが人間を相手にするという旧世紀の性愛行動でも何が満たせるわけでもない。人間相手で満足できるなら人類は人工知能やロボットをわざわざ開発しなかった。人間同士で満足できないから、俺たちはロボットを作ってそこに夢を見たのである。
だが夢が形になったときそこにあるのはむなしさだけだった。
超絶セクシーロボができて、なんでも俺の言うことを聞いてくれる。
だがすべてはむなしい。
このむなしさを解消するためにロボ製造会社で働く俺たちはオプションパーツを沢山開発した。オプションパーツさえたくさんあれば、むなしさがごまかせるはずだと考えて。
さらに、ありとあらゆる種類の性格を考えた。
ロボの性格は今や五兆種類ほどもあり、その個性の見かけ上のヴァリエーションや人格の深みやそれが醸し出す魅力の強度は、今や確実に人間を越えていると断言できる。
見た目に関するオプションパーツは五京個ほどもある。それがが醸し出す誘因度の強さとその持続性は人類種に発揮できるピーク値のおよそ五千倍のポイントを叩き出す。
だがすべては飽きてむなしくなってしまう。
「なぜだ! ガッデム!」
会議室で俺は未来的に黒光りするカーボンファイバーの折りたたみ式会議机を拳で叩いた。朝に本社ビル一階のエクセルバックスで汲んできた新鮮なフィフスウェイヴ・ハイパーましましラテが入っているマイボトルが跳ね上がり、未来的に黒光りする会議机の上を転がって床に落ちそうになる。
だが会議机の向かいに足を組んで座っている、めがねをかけた金髪白衣の女、スタンレー・ボブリー・綾子がそれを途中で拾い上げる。
綾子は自分のマグカップに俺のボトルの中身を勝手に注ぐと、手元のなんでもペーパーに表示されたデータを読み上げた。
「世界各国から集まった顧客アンケートを集計した結果、むなしい、むなしいという声があがりまくっているわ。このままだと我が社のロボ業は遠からず下り坂よ」
「そんなことはわかってる! だからどうしたらいいのかを考えているんじゃないか!」
「よしよし、お願いだからパニックにならないで。深呼吸して」
「すー、はー」
「そう、その調子。脳波が安定してきたわ。コーヒーなんて飲まずに、これをお飲みなさい」
綾子は背中のなんでも袋から、パラフィン紙に包まれた紫色の粉を取り出し、テーブルの上を滑らせてよこした。
「なんだこれは?」
「この前、うちのラボで作ってみたの。飲むとアイデアが閃くナノマシンよ」
「すごいじゃないか。どんな原理なんだ?」
「脳のシナプス間隙にとりついて、そこの量子的効果をブーストアップするの。正確には、ブーストアップするというより、より新奇なアイデアの可能性が波動の海として存在している平行宇宙、あるいは高次元宇宙に選択的に脳を共鳴させるといったところかしら」
俺は紫色のまがまがしいナノマシンを無拍子で飲み込んだ。
「ちょっと、苦いでしょ」
慌てて綾子は壁際にある給水タンクで紙コップに水を汲み俺に渡した。俺は涙目になりつつ水をあおり、口内にへばりつくナノマシン粉を喉に流しこんだ。
涙を拭き、椅子にゆったりと腰掛けて、目を瞑る。
俺の強化脳が合成するインナーヴィジョンによって、ナノマシン粉が喉と胃の粘膜から速やかに俺の体組織に浸透し、一斉に脳を目指していく映像が俺の瞼の裏に上映された。ナノマシンは特に側頭葉のあたりに集合し、そこに定着した。
左右両脳の発する電気パルスが速やかに共鳴し、コヒーレントなものになっていくのが感じられた。また、脳幹、大脳辺縁系、大脳新皮質という脳の三層間に、かつてない滑らかな情報のやり取りのチャンネルが形成されていくのがわかった。そのようにして上下、左右が統合され、一つの完全な融合体としてアップデートされた俺の脳は、その外側にある、あらゆるすべてのもの、意識、可能性との共鳴を始めた。
俺は自分の思考パターンがご飯の上のバターのように急速に柔らかくなり、柔軟な発想力が芽生えてきたことに気づいた。しかも視野が広くなって、今までの狭窄したものの見方の約五千倍ほどに自由度のある考え方ができるようになっている自分に気づいた。
「おお……効くじゃないか。さすが開発部コマンダー」
この才気煥発さ、まさに俺の上司として相応しい。綾子は少し照れた様子を見せた。
「どういたしまして。でもそれ、五分ぐらいしか効果が続かないのよ。その中で何とか使えるアイデア、出してもらえないかしら。このままではうちの会社の超ヒット商品、ブルーキャットシリーズは全部、時代遅れの恐竜になっちゃうわ。そんなことになる前に自分たちの手で破壊的イノベーションを起こすのよ。お願い、そのためのアイデア、なんとかして出してちょうだい」
「まかせろ!」
俺は物理的リアリティに適応可能なアイデアを引き出すため、自分の意識の半分を三次元空間に振り向け、その残りの部分を引き続き深遠なる超時空瞑想空間に置いた。これにより俺の目は半眼となり、その意識は、会議室や綾子や会社の状況を明晰に認識しながらも、同時に無限のインナーワールドに集中できるという、アイデア出しに相応しい状態となった。
さらに俺はバイオフィードバックのため己の視界に脳電図を仮想的にオーバーレイし、それを見ながら呼吸を調整して脳波パターンを5Hz程度で凪の海のようにゆったり振動するシータ波から、細かく素早く振動するガンマ波へと持ち上げていった。
40Hzの精妙なリズムに同調する脳細胞はナノマシンとより深く共鳴し、それは全時空と共鳴し、さらに未だ人類に与えられていないアイデアが蓄えられている、謎の時空間へと俺の脳全体が同調した。俺はそこから未だかつてこの地球に存在したことのなかった情報を電子のパルスとして引き出し始めた。
その電子のパルスは俺の脳細胞を新たなパターン、リズムで発火させ、まもなくそのパターンは俺の意識上に、具体的なアイデアの種として形を取り始めた。
俺はいくつか浮かんだそのアイデアを順番通りにストレートに口に出した。
「アイデア1.さらにオプションを増やす。今のところバイオ脳の性格パターンは五兆個ほどしかないが、これを五垓個ほどにまで増やす」
綾子はえんぴつでさらさらと手元のなんでもペーパーに俺が発するアイデアを書き留めていった。
「なるほどね。ひたすら数を増やすことで量的変化から質的変化へのシンギュラティを力業で越えようというアイデアね。スマートではないけれど確かに何らかの効果はあるはず」
「アイデア2.ロボはバイオ脳持ちの魂のない無生物であり、一方、人間はいわば生脳持ちの、いまだ解析不能な魂を持つ神秘存在、すなわちリアル生物であるという存在の区分が、ロボ・人間間の性愛行動をむなしくしている。だがロボのバイオ脳を魂の宿る生脳にしてしまったら、それはただの人間であり、何の意味もない。ここで発想を逆転させ、人間の脳をバイオ脳にし、そこから魂も抜いてしまい、ロボと同格の存在に落し込んでみる」
「なるほど。自分と同じ存在レベルのモノとの恋愛行動であれば、そこには何かしらの真の充実感が生じそうなものよね。脳置換手術と魂抜き取り儀式は、そのサービスの志願者だけに行われるでしょうから、コンプライアンス上の問題も発生しない。いけるわ、このアイデア。あとでハイパーラテ、トッピングましましでおごってあげる」
「よっしゃあ! それじゃどんどん行くぜ、次はアイデア3だ。人類が持つ恋愛行動の概念自体を変えてみる。恋愛行動に限らずあらゆる概念は人間の脳の中に収納されている。また、全人類の脳の個数は一定であり、それら脳内にある思考データへのアクセスとその書き換えは、我が社のリソースをもってすれば十分可能であると考えられる」
「なるほど。閾値を越えた人数から承諾がもらえさえすれば、人類の集合意識のプールの中にある恋愛行動という概念を、ダイレクトにデザインできるってわけね。そして『恋愛はロボが相手であっても、黒板消しが相手であっても、なんであれ無条件に最高に気持ちよく満たされるものだ』というふうに、人類の集合意識上の観念をディープに書き換えてしまえば、その観念によって色づけされる知覚によって構成されるリアリティは確かにその通りのものになるはずよ。そうすれば我が社のロボは永久に人類の恋愛相手としてふさわしいものであり続けるはず! 観念書き換えの承諾がとれなかった人類グループも、人類の別グループとして存在を続けていくことができるし、そんなふうに存在の在り方の選択肢を増やすことは公共の益にかなっていて、『世のため人のために頑張るよ』という我が社のステートメントとも合致するわ! 素晴らしいアイデアね、昇給ポイント五億ゴールドあげちゃうわ!」
「えっ、五億ゴールドも……」
俺は感動で意識を失いかけた。それだけの昇給ポイントがあれば、来月の給料は縦に物理的に積み重ねれば富士山山頂に届くレベルに達する。
それだけの金があれば、なんでも欲しいものが買える。あのアンティークショップで見つけたあのアイテムだって買える。
そう……自宅に欲しいのは、色の変わるランプ。
何万色にも色の変わるランプ。
赤や黄色や、オレンジや青に、ランプは色を変えることができる。
それを観て俺はくつろいで、昔のことを思い出す。
たとえば何百年か昔に見た花畑のこと。
色とりどりのあの花畑のこと。その香りや空の青空のこと。
俺と優しい友達の間を吹き抜けてゆく透明な風のこと。
そんなことを思い出すことのできる、色の変わるあのアンティーク電子ランプを買うことができる。
そんな脳裏によぎった一瞬の郷愁をも新たなるアイデアを生み出すための心理的エネルギーの糧として、俺はさらなるアイデアを呼び出しそれを声に出した。
「アイデアその4.異次元から非人間的魂を召還し、ロボットのバイオ脳をその異次元的エネルギーパターンに同調可能なものへと調整したうえで、その非人間的、異次元的魂をバイオ脳へと定着させる」
「なるほど! 非人間的魂であれば、それをバイオ脳に定着させたところで人道にもとることにはならないわね!」
「そうなんですよ! しかもこの宇宙ではないどこか別の異次元の宇宙を探せば、あえてロボットのバイオ脳に宿って、人類にひたすら愛の奉仕をしたいという奇特な魂が存在しているはずです」
「でもそんな奴隷根性のある魂は魅力のパラメータが低いのでは? 商品としてどうなの?」
「違うんですよ。求めるべきは『高貴な奉仕者』です。本来は人類より遙かにパワーがあり、あらゆるパラメータが上でありながら、あえて人類に対して下から甲斐甲斐しく奉仕したいという、すさまじいレベルの奉仕の気持ちにあふれた魂を見つけてくればいいんです」
「そんな魂、この宇宙に存在しているのかしら?」
「理論上、どこかの平行宇宙、どこかの次元には存在しているはずです。なぜなら存在の可能性は無限ですから」
「よし、それじゃあ3と2をバックアップとし、まずはアイデア4をさっそく実行にとりかかりましょう。異次元からの魂召還のための儀式を全社をあげて行わよ!」
「ラジャー!」
綾子は折りたたみイスにかけていた白衣をつかみ取るとさっと羽織って、会議室から勢いよく飛び出していった。俺も急いで綾子の後を追った。
午後、社内のシャーマンと魔術師による招魂の儀式は無事に終了し、試作品を作るためのバイオ脳ひとつに異次元の魂が宿った。
俺はラボで開発チームの仲間たちに囲まれながら、最新型ブルーキャットの頭蓋骨をドライバーで開け、中にそのバイオ脳を慎重に入れ、またふたをしてネジを閉め、背中の電源ボタンを押した。
瞬間、ぶるぶるとブルーキャットの手足がふるえたかと思うと、まもなくそれは起立し、俺を直視した。
「こんにちは。開発部チーフ、名前は……たくみさんですね」脳にはいまだいかなる情報も入力していないのに、役職と名前を言い当てられて俺は一瞬怯んだが、なんとか気を取り直して挨拶した。
「はじめまして。バイオ脳に宿る異次元存在よ」
すると、ブルーキャットは、かつて俺がこれまで見たことのない、うっとりとする魅力的な笑顔を見せた。その笑顔を観たとき、このプロジェクトは成功だという確信が俺の中に湧きあがってきた。
「しかし……本当にいいんですか?」同時に罪悪感も湧いてきた。
「ロボとして人類に奉仕するとなれば、人権など何もないですし、物以下の扱いを受けて、虐待されたり殺されたりもしますよ。考えられるありとあらゆるひどい目に遭うはずです」
「それでかまいませんよ。人類という若い種族に奉仕する。そんな体験を求めてここにやって来たんですから」
「それは助かりますが……何か見返りに欲しいものなどあれば今のうちに言ってください」
「うーん。奉仕の体験自体が報酬なので、特に欲しいのは何もないです。でも……まずはたくみさん相手のロボになりたいですね。その後で追々、魂を分裂させて、他のロボ脳にも定着していきたいと思います」
そんな顛末によって俺の家に新たなロボがやってきた。
それは圧倒的な魅力を振りまいた。
そのロボが持つ精神性は、俺よりも圧倒的に深く高く、その存在に比べたら俺の精神性は赤子に等しかった。
そのような高貴な存在をロボとして奴隷扱いし、何でも命令し、その者からの奉仕を無制限に受け取ることができるというのは、まさに天国的な体験であった。
これは売れる。俺は確信した。
案の定、新型ロボはとんでもない数、売れに売れた。
その製品を買うことによって、人々はきわめて高い精神性を持った意識存在から無償の無制限の奉仕を二十四時間、受け取り続けた。
深い感謝の気持ちが人類の中に急速に広がっていった。
俺はある日その存在に感謝の言葉を発した。
「本当にいつもありがとう」
「どういたしまして」
美しい笑みをロボは見せた。
あの日見た色とりどりの花畑と青空のように、どれほど見ても見飽きることのない無限の深みを持つその表情を、俺は畏敬の念を持って少年のように楽しみ続けた。