ほぼ読了、『エレクトロニック・ミュージック・クリエイターのための作曲アイデアと表現テクニック』

今まで断片的に読んできたこの本だが、やっとひと通り目を通すことができた。

とりあえずモード的な作曲法についてなんとなく理解できた。

今になって気づいたのだが、以前、私が『モードで作曲した!』と思っていた各種の曲は、ぜんぜんモードではなく普通の調性音楽だった。

というのも、例えばWalk Around Winterという曲では、『Cフリジアンモードのスケールを使えば、自然にCフリジアンモードの曲になるだろう』と思って曲を作った。

だがCフリジアンというのは、ルートが違うだけで、Fナチュラル・マイナー・キーと同じ音の並びだったのだ!

この音の並びを用いても自動的にCフリジアンモードの曲にはならなかったのだ!

Cフリジアンモードの曲にするには、ベースをCで鳴らすなりなんなりしてルートがCであることを強調し、なおかつCフリジアンの特性音であるD♭を要所要所で鳴らす必要があった。そうして初めてその曲はCフリジアンモードの曲としてリスナーに認識されるものになるのである。

だが私はWalk Around Winterを作る際、なんとなくメロディを作り、そのメロディに合うコードをなんとなく作っていった。

その結果できたものは、Fm-Cmを繰り返すというコード進行の曲だった。

FmはFナチュラル・マイナー・キーのトニックであり、CmはFナチュラル・マイナー・キーのドミナントである。

つまり私はトニックードミナントを繰り返すという、調性音楽における最もプリミティブなコード進行を無意識のうちに作っていたというわけである。そしてそれは当然のことながらモード的な音楽ではない。

今の私の理解によれば、モード的な音楽とはコード進行が無くて、延々と似たような雰囲気が続く音楽のことである。

(以下、私なりのモード的作曲なるものについての覚書である。またそこから派生した思考のメモである)

通常の調性音楽はコードを進行させていくことにより、その曲の中でいわば物語を進展させていく。一方、モード的音楽では物語は進行せず、最初から最後まで同じ雰囲気が続く。その雰囲気は曲の内部構造としてのコードによって生まれるのではなく、曲のより基底的な構造としての各種のモードから生じる。

コードがその曲の世界の中で起こるひとつひとつのイベントのようなものだとしたら、モードはその世界に通底して流れている雰囲気のようなものだ。

そのモード、雰囲気はモーダル・インターチェンジしない限り、曲の最後までずっと同じものが使われるので、一曲につき一つの雰囲気がキープされることになる。

調性音楽のシステムを使う限り、何をどうしてもトニックードミナントという、起承転結性が曲の中に生まれ、それによって善かれ悪しかれ時間の流れや物語性が曲の中に生まれてしまう。そのときリスナーの意識はその物語性に集中することになる。

一方、モード的作曲法によって作られた曲ではひとつの雰囲気が最初から最後まで続き、その中では特に物語らしい物語が生じないため、その曲の中で時間は流れない。

そのような止まった時間の中に身をおいたリスナーは、おそらく曲を構成する音そのものに意識を集中することになる。

調性音楽では、リスナーはその意識を、音楽の奥に向ける。つまりコードの流れによって、その曲の奥に存在していることが暗示される物語に、リスナーは意識を向ける。

だがモード的音楽では、その音楽の奥には何もない。だからリスナーは音楽の表層、そこにある音そのものに意識を向けざるを得ない。

そのとき、音楽によって指し示される物語(音楽という記号表現によって、その奥に存在していることが暗示される意味内容)を楽しもうとする傾向よりも、音楽を表面的に構成する音そのものを、そのコンテンツの実体として楽しむ傾向が生まれる。

それはいわば音楽の奥に隠されていたイデアの世界が、より表層に引っ張りだされて来るということでもある。

そのとき音楽は、何かの対象を描写したものではなくて、その『何かの対象』そのものになるとも言える。

ただ、そのようにしてリスナーの前に露出された『何かの対象』は言語ー記号によってシンボライズされる前の『物そのもの』なので、何事につけてものごとを象徴化せねばそれを認識できない人間の思考作用にとっては一種の異物となる。つまりそれは理解不能ななんだかよくわからないものになってしまう。

実際、モード的な音楽を聴くと無味乾燥した感じや、人間的情緒が薄い音楽としてそれが感じられることが多い。とっつきにくい音楽であると感じられることが多い。

というわけでこういった局面において大事なのはやはりバランス感覚であったりするのだろう。

日常的な意味性と、なんだかよくわからない超意味性との間のバランスを取る、というような。

あるいは『何か』についての描写としての象徴性と、それ自体が『その何か』であるという実体性の間についてのバランスを取る、というような。

肝臓の進化/音楽練習

齢四十歳にして酒が飲めるようになった。

なぜかはわからない。

本当にちょっと前までは酒は本当にダメだった。

しかし今は飲める。

うまいと感じられる。

ちょっと前まで居酒屋とか酒を飲む場所は全く意味がわからなかった。

そんなとこに行くよりスタバでコーヒー飲んでた方がいいと思っていた。

しかし今はなんなら誰かとバーに行ったりしたい。

「このビターな香りが樽のあれなんだよね」というような会話をしながら何か曰くのある液体を傾けたい。

ところで今現在、私はフィンガードラムとキーボードとギターとベースを練習している。

している、といってもそれぞれ一日五分程度だ。

フィンガードラムとキーボードはMelodicsというBM98みたいなアプリで練習している。これはサブスクリプションで結構な値段するアプリだが、練習曲のそれぞれが今風のかっこいい音楽なので、練習によって実践的な音楽センスを吸収できそうな意味合いがある。

またサブスクでお金を払うことで、元を取らねばという意識が強まり練習のモチベーションが高まる効果がある。いいサービスなのでぜひDTMerの皆様におすすめしたい。

https://melodics.com/

ギター、ベースはこういった本を見て練習している。

ベースはこの本に書かれている譜例をiPhoneのKorg Gadgetにサクッと打ち込んでそれに合わせて弾いたりしている。こうするとドラムのリズムとベースの関係が肉体的に体得しやすいのではないか、などと考えている。

音楽制作をするとともに各種楽器を練習することで、音楽という広大な領域に対する理解が立体的に広まっていく感があり、日々、発見の連続でとても楽しい思いをしている。

この前のライティング講座の懇親会でのBGMがこちらになります

この前、ライティング講座というものをしました。

イメトレによって小説やブログで自分が創造したいものを創造する力を高めるという講座です。

その講座のあと、懇親会の時間がありまして、そこでBGMにCHICの最新アルバム、It’s About Timeを流していたところ、受講者の方から「このBGMすごくいいですね。これなんですか?」という質問がありました。

アルバム名を忘れていたため答えられませんでした。ていうかこのアーティスト名も忘れていました。というわけでこの場でお答えしたいと思います。

CHICというバンドのIt’ about timeというアルバムです。ナイル・ロジャースというギターのカッティング奏法で有名な人がやっているものです。

ナイル・ロジャースさんは、グラミー賞を受賞したダフト・パンクのRandom Access MemoriesというアルバムのGet Luckyという曲にもギターで参加していて、そちらでも気持ちいカッティングが聴けます。


この二枚のアルバムは最近、私の中でひたすらヘビーローテーションされています。聴き手の生活を邪魔することなく、それでいて感情をじわじわと上げてくれる作用がかんじられます。

コンパクト・エフェクターでなんかいい感じ

毎日スタバで仕事したあとBOOK OFFで買い物してうさを晴らすのが日課になっている。

BOOK OFFとスタバの店員さんたち(たまに話しかけてくれる)が、労働者としての私のメンタルヘルス向上に大きく貢献してくれている。ありがたいことである。

本は新品で買うほうが好きなのでBOOK OFFの古本コーナーはあまり利用しないのだが、楽器コーナーはよく使う。

楽器コーナーは機材の入れ替わりが激しく見ていて楽しい。

毎日、エフェクターの棚を見ているうちに、それまでまったく興味も知識もなかったコンパクト・エフェクターなるものに関して若干の知識がついた。

私が使っているDAW(音楽制作のためのツール)の中にはありとあらゆるエフェクターがバーチャルなプラグインとして入っている。だが私はそれらがどんな原理でどんな歴史を持っている機材を仮想化したものなのか何も知らぬまま、なんとなくつまみを回して使ってきた。

そんな意識の低いエフェクターとの関わりが、エフェクターの物理的実機と触れ合うことによって変わってきた。

先日は前世紀の遺物のオーバードライブを買ったが、その小さな箱を手に入れたことによって、その箱の仕組や歴史に興味が出てきた。私は本を読んでエフェクターについて学んだ。今まで漠然と使ってきたディレイやリバーブの原理を知ることができ、知的好奇心が満たされた。

また先日はこんなコンパクト・エフェクターを買った。

最も有名なコンパクト・エフェクターのメーカーであるBOSSの、CH-1というコーラスのエフェクターである。

コーラスといえば、先日、Cosmic Autumn Meditationというチルアウト/アンビエントな感じの曲を作った。

この曲を作る際、シンセにかけたディレイのディレイ・タイムをLFO(低周波発振器)で揺らしたいと思い、あれこれ試行錯誤したのだが、どうしてもやり方が分からなかった。

Ableton Live内ではどうしても私が求めるエフェクト『LFOディレイタイム・ディレイ』を実現することができなかった。

そこで私はVCV-RackというオープンソースのバーチャルなモジュラーシンセサイザーをDAWの外部エフェクタとしてつないで、DAWからのシンセの音に、VCVで作った『LFOディレイ・ディレイ』をかける、という試みをしてみた。だがそれは私のパソコンでは荷が重すぎる作業だったのか、ノイズが発生しまくりでまともに再生することができなかった。

私は私の心の中にある理想のエフェクト『LFOディレイタイム・ディレイ』を新曲にかけることを諦めた。

その後、私はCH-1というエフェクターを買った。そしてそのエフェクターの機能、コーラスというものについて調べた。すると、このコーラスというエフェクターこそが、ディレイのディレイタイムをLFOで揺らしたものであるということがわかった。

そ、そうだったのか。。。

コーラスならもちろんAbleton Liveに標準機能として入っていた。だがわざわざ実機を買って、それに興味を持って調べることによって、ディレイタイムにLFOがかかったディレイ=コーラスであるということがわかったのである。

だから無駄な買い物じゃないんだよ!!

このエフェクターはギター演奏以外にも、DAWにつないで楽曲制作の足しにしたりして有効にう活用し元を取っていきたい。

コーラスの機能はDAWに標準機能として入っており、わざわざコンパクト・エフェクターなどを使う必要はない。DAW内だけで完結したほうがノイズが入る心配がない。

だがオーディオ・インターフェイス→コンパクト・エフェクター→オーディオ・インターフェイスという配線を組む行為の中に、なんとも言えない楽しさがあるのも事実である。

機械と機械を、線でつなぐと楽しい。

それは本能的なものである。

そんな楽しさを少しずつ回収していきたい。

そうすればきっと世界が明るくなっていくと思うから・・・

と、そんな精神的な意義以外にも、このコンパクト・エフェクターを介して音を作ることに何かしら実利的な意味がある可能性もある。

というのも、一度、アナログ的な回路へと音を出すことで、『音にアナログの温かみが付与される』などという説があるからだ。

ちゃんとした『アナログの温かみを付与する』ための機械も存在しているのだが、そういうのはだいたい何十万円もする。

そういうのはいつか出世したら買うとして、今はこのかわいいコンパクト・エフェクターをパソコンにつないで満足したい。

 

初体験!コンパクトエフェクター

毎日、小説を書いている。

小説を書くのはねー、はっきり言って地味な仕事ですよ。

小学生の頃にドラゴンランス戦記って海外の翻訳ファンタジーを読んでめっちゃ感動して「俺も小説を書くぞ」と決意して以来、小説がずっと人生の五割ぐらいを占めてる生活をしていますが、それにしてもこの仕事は地味だ。でも地味なところもいいよね。

ちなみに私はドラゴンランスの登場人物ではレイストリンが好きです。

今まで私は誰ともドラゴンランスに関する話をできたことがない。なぜ私の周りではドラゴンランスを誰も読んでいないのだろう。未だに私の中で最高の小説です。本当にこれはもう最高すぎてなんとも言えないぐらい好きなんですが、なぜ私の周りでは誰も読んでないのか! そんな世の中に私は絶望しています。レイストリンもきっとこんな気持ちだったのかもしれませんね。。。

それはさておき。

毎日、バスに乗って駅前のスタバで小説を書くという日課を続けています。で、一仕事終えたら、スタバの上にあるブックオフで音楽関係の機材を見て、ストレス解消をするわけです。

たまに機材を買ってみたりすることもあります。

昨日買ったのはこれ。Aria Aod-1というオーバードライブのコンパクト・エフェクター!

と、ここでいつものようにアフィリエイトを貼ろうかと思いましたが、あまりに古い機材でAmazonに売っていなかったので、YouTubeで検索して見つかったビデオを貼っておきます。

ビデオの説明によれば「隠れた名機」と呼ばれている良い品のようです。

そんないい物が、なんとブックオフで税込み1400円で買えました!

ところで実は私、コンパクト・エフェクターを買うのは初めてです。

高校生の頃、初めて買ったギターには安いマルチエフェクターを合わせて使っていました。

最近ではZOOM R8というMTRに入っているマルチエフェクターを使ってギターを弾いています。

現代っ子である私としては、マルチエフェクターの中に全エフェクターが入っているのに、わざわざ単品でコンパクトエフェクターなるものを買う必要性が感じられませんでした。そんなものは趣味のためのものであって、機能的には必要性のないものであると思っていました。

しかしよくよく考えて見れば私は趣味として音楽をやっているのだから、コンパクトエフェクターが趣味的なものだとしたら、むしろそれは買うべきものであるに違いありません。

というわけでBOOKOFFで三十分近く悩んだ末、買いましたよ。前世紀の遺物のようなこのコンパクトエフェクターを。

ちなみにギターなどに興味のない方に説明いたしますと、エフェクターというものは、その名の通り、ギター等の楽器の音に、さまざまな効果を付与する機械です。今回買ったaria aod-1という機械は、それを使うことにより、ギターの音を、オーバードライブといういかにもギター的なギャイーンという歪んだ音に変える効果を持っています。

このオーバードライブというのは、ファズ、ディストーション、オーバードライブと主に三種類ある歪み系エフェクターのひとつであり、この三つの中ではもっとも軽めの歪みを作るエフェクターです。

(などなどという知識を昨夜、急遽この本↓を読んで知りました。エフェクターの世界、面白いです)

で、エフェクタというものはものすごいたくさんの種類があるのですが、その沢山の種類のエフェクタを、デジタル技術によって一つの機械で使えるようにしたものが「マルチ・エフェクター」というものです。これは安いものであれば一万円もせずに買えて、その中に全種類のエフェクターが入っているという超お買い得なアイテムです。

一方、今回私が買ったコンパクト・エフェクターなるものは、ひとつの機械の中にひとつの機能しかありません。このaod-1であれば、オーバードライブの機能しかない。

それでいてどのコンパクトエフェクターも、数千円から数万円するわけです。よって機能だけを比べてコスパを考えるのであれば、マルチエフェクターのコスパが圧勝ということになり、コンパクトエフェクターなんて買うのはお金の無駄、ということになるわけです。

それで私は昨日、BOOKOFFで三十分弱も、「こんなものを買っていいのか……」と悩んだというわけです。

でも悩んだ末にaod-1を買いまして、自宅でギターにつないでみましたよ。

そしたら、なんということでしょう。

いいじゃないか!

これはすごくいいじゃないか!

もしかしたらプラシーボ効果なのかもしれませんが、今まで私が聴いてきたどのマルチエフェクターの音よりも、またDAW上でのプラグインでかけたエフェクトよりも良い音がする。

良い音というと語弊があるかもしれません。なぜならこのエフェクターを通すことでノイズは増えてるような気がするからです。

しかしですね、なんというか弾いていて気分が上がる効果が極めて高い。ギャイーンってなるんですよ。そのギャイーンがなんか気持ちいいんですよね。このコンパクトエフェクターを通すと。

やっぱりこう手で触れる実物の機械があると、この箱を通って音が変わっているという実感が感じられて、それで有り難みが高くなり、気持ちをあげる効果のアップにも繋がっているということなのか。。。

そういうプラシーボ効果なのか、それとも本当に「いい音」がなっているのか。私には判別不可能ですが、とりあえずこの小さな箱で、昨日一晩ノリノリで新鮮な気持ちでギターを弾くことができたのは確か。

なのでとてもいい買い物でした。

エフェクター あつめてみても いいかもね

雑な暮らし

ていねいな暮らしが送りたい!!!

だが今現在、雑な生活を送っている人間がいる。俺のように。

そういった人間は得てして丁寧な生活に憧れがちであるが、むしろ今現在の雑な生活を雑なりに楽しんで改善していった方がいい。

たとえば、コンビニ弁当ばかり食べている人間は、いきなり全部の食べ物を自炊化するなどという極端なことを目指さず、むしろコンビニの中でも少しでも体にいい食べ物を探してみるのはどうか。

たとえば、スマホでまとめサイトばかり見ている人間は、いきなり高尚な文学作品を読む習慣などを持とうとせず、むしろ少しでも有益なまとめを探してみるのはどうだろうか。そして何か良い情報を得たら、実際にそれを行動に移してみるのはどうか。

またたとえば、エッチな動画を見るのを習慣としている人間は、いきなりそういったものから完全卒業しようと試みるのではなく、むしろ少しでも自分の成長のために役立つエッチな動画を探してみるのはどうか。そんな動画が存在しているのかはわからない。だとしたらせめてエッチな動画を『感謝の気持ち』で見るようにしたらどうか。

もしかしたら、そのような細やかな改善を人生の全領域に求める姿勢こそが『丁寧な暮らし』の正体なのではないか!?

きっとそうだよね。

そうだと思う。

文字を読むためにKindleを買う

先日、いつものようにスタバでなかなか捗らない小説執筆をしていると、目の前のカップルがすごく仲良さそうにしていた。

(ふふ、仲のいいことは素晴らしいことだな。世界人類がもっと仲良くなりますように)

私は心の中でそのような祝福を送った。

そのときである。

カップルの前のテーブルにKindle paperwhiteが置かれているのに私は気づいた。

Kindle Paperwhiteのディスプレイは電子ペーパーなので、電源をオフにされていても、壁紙の画像がディスプレイに表示され続けていた。

それはスマホでもタブレットでもない独特の存在感のあるサイズで、スタバのテーブルの上に意識高そうに置かれていた。

(なんかあれ、いいな)

私は強い物欲に駆られた。

私はマンガを読んだりビデオを見たりするためのKindle Fireは持っていたが、電子ペーパーで活字を読むのに適していると言われているKindle Paperwhiteは、まだ持っていなかった。

わけあって、私はここ数年、あまり小説を読まない生活を続けていたため必要なかったのである。

だが、その一方で、ここ数年、私は毎日、スマホでくだらないまとめサイトを大量に読んでいた。

まとめサイトを読んでいると自分の性格が刻一刻と悪くなっていくのを感じる。まとめサイトを読んでいると刻一刻とこの社会が恐ろしいものに感じられていくのを感じる。

だがまとめサイトの魅力に抗えず、どうしても暇な時にまとめサイトをスマホで観てしまうのだ。

そのような悪い習慣を、もういい加減、岩波文庫を読むような良い習慣に置き換えたい。

そして、そろそろまた昔のように、小説や活字を浴びるように読む生活を再開したい。

そのためには、Kindle Paperwhiteが必要だ。

私はスタバを離れ、その上の階にあるブックオフに向かった。

ブックオフのレジ前のガラスケースに、Kindle Paperwhiteの古いやつが2980円で売っていた。買った。そしてさらに自宅で適当な岩波文庫を買った。

ちらちらと空いている時間に読んでいるが面白い気がする。昔の日本はいまよりも性におおらかでエッチだった、というような話が淡々とした筆致で書かれている。

Kindle Paperwhiteはめっちゃ軽いので片手でも読みやすい。私が買ったのはかなり古い機種だがちゃんと動くしぜんぜん使える。

ただ正直、まとめサイトの方が、私の脳の汚れた部分を刺激するような面白さに優れていると、今のところそう感じる。

岩波文庫もまとめサイトもどっちも字なのだから、どうせ読むなら精神衛生によく、ちょっとは知性向上に繋がりそうな字を読みたい。そんな習慣を持ちたいものであるが、果たして。。。

 

『おぞうにの歌』と『アレンジの教科書』と『ZOOM R8』

盆と正月は毎年、実家に帰る。

そこで甥と姪と遊ぶ。

最近は音楽によって遊ぶことが多い。

今年は皆で作曲した。

まず甥が作詞と作曲をした。そこに姪がピアノ伴奏を付けた。さらに私の演奏によるギターと段ボールドラムの音を重ね、さらにそこに従姉妹のハンドクラップを入れ、一曲完成させた。

その際に活躍したMTRがZoom R8である。

このたぐいの遊びにピッタリの機器で、さくっと一曲、作り上げることができた。

本体に付いているステレオマイクがとても便利で、これにより歌やギターの音を簡単に録ることができた。

まだよく使い方がわからない状態で使ったのだが、それにしても大したトラブルもなく一曲完成できた。

皆で何か一つの完成作品を作るというのは本当に良いことで、私自身、大いに楽しみ、それによってクリエイティブなパワーを増大することができた。

で、次回またこのような作曲で遊ぶ際の役に立つことを願って、最近このような本を読んでいる。

これがすごくわかりやすい本で、アレンジというものの理解に役だっている。

必要な音楽理論や、各ジャンルの抑えるべきポイントが、とてつもなくシンプルにわかりやすくまとめられている。

情報を削ぎ落とし大事なポイントのみが書かれているので、とても理解しやすい。

ちなみに表紙では女子高生たちがPerfume風の振り付けをして歌っている。

各章の冒頭で、この女子高生たちが、その章で語られる音楽ジャンルに扮したイラストが掲載されている。表紙にあるのはエレクトロポップの章のイラストである。このイラストが凄くいい。

内容、見た目、ともに素敵な本である。

労働の喜び!スターデューバレー!

最近、私は夜遅くまでめちゃめちゃ働いている。

スターデューバレーというゲームの中で死ぬほど働いている。

牧場物語系のゲームである。現代社会で疲れた主人公が、祖父から相続したスターデューバレーというど田舎の荒れた農場に引っ越し、そこで個性的な村の面々との人間関係を築きながら、農場を少しずつ大きくしていくというゲームだ。

畑に種を植えてジョウロで水をかけて、鳥小屋で卵を拾って卵をマヨネーズ製造機に入れて、牛小屋で牛の世話をして牛乳を絞ってそれをチーズ製造機に入れて、そのあとトロッコで石切り場に向かいツルハシで石を割り、夜には酒場で村人とお酒を飲む。。。

という日々を淡々と続ける。

少しずつ拡張されていく農場に労働の喜びを感じる。また、村の人々との恋愛ゲームのような人付き合いからも、都会にはない真に暖かな心の交流の気持ちよさを感じる。

『このゲームに費やした時間を自分の仕事に使っていたらどれだけのことができただろう?』という考えが心の隅に浮かぶ。

だが、このゲームをすることによって労働の喜びや、良い人間関係を作るコミュニケーションの秘訣を知ることができ、実際に労働力や社交力も高まっていくはずだ。

すでに私は真に人間らしいコミュニケーションの方法をこのゲームから学んでいる。真に人間らしいコミュニケーションの方法、それは道端に生えている季節の花をむしりとり、それを毎日、通りすがりの人にプレゼントするということだ。

そのような深い知恵を学ぶことができるこのようなゲームをすることは有意義な時間の使い方である。少なくともFPSで殺しあうことよりは。。。。

私はMacのSteam上でプレイしているが、PS4、Switich版もあるようだ。労働の喜びを知りたい人、農村での真に人間らしい人付き合いの喜びを知りたい人におすすめしたい。

祝!連載再開『喧嘩稼業』

今、一番面白いマンガのひとつである喧嘩稼業だが、昨年から長い休載に入っていた。

そのため私の人生は落胆の連続と化した。

新しい一週間が始まり、コンビニに行ってヤングマガジンをめくり目次ページを確認して、『喧嘩稼業』の休載を確認する日々が続いた。

「はあ・・・今週も喧嘩稼業は休載か。こんなことでは世の中はどうなってしまうんだ」

私は社会問題と化した喧嘩稼業の休載について嘆いた。

だが私には何の力もなく、できることと言えば喧嘩稼業の再開を神に祈ることだけだった。また単行本を買ったり、コミックデイズのサブスクリプションに登録することぐらいだった。

コミックデイズは月、何百円かで講談社の漫画雑誌が読みまくれるという驚きのサブスクリプションだ。私が主に読んでいるのは、アフタヌーンとヤングマガジンとイブニングだ。

アフタヌーンは、ヒストリエとヴィンランド・サガを目当てに読んでいる。

イブニングは、創世のタイガを目当てに読んでいる。

ヤングマガジンは、パラレルパラダイスと、カイジと、喧嘩稼業を目当てに読んでいる。

これら絶対に面白いマンガをメインに読みつつ、その他の連載作品をパラパラと読むことで常にマンガの流行り廃りに触れていられるのだ。で、気に入った作品は単行本で買う。買う際は電子書籍で買うのでどれだけマンガを買っても部屋が狭くならない。

素晴らしいことだ。人類社会は日々便利になっている。

今年は年の初めから喧嘩稼業も連載再開した。今年はいい年になりそうだ。