電遊奇譚がコズミック怖面白い

モンゴル料理店で安倍吉俊さんのイラストを観る

御徒町で海猫沢めろんさんと多彩な羊肉料理を食べたという話を前々回の記事で書きました。 そのモンゴル料理店での食事会には、めろんさんの他にも作家さんや、角川で私の担当をしてくださっている編集者さんがいました。 その席で私は謎の羊肉料理を食べながら、つい最近、初めて観て大好きになった「けいおん!」の話や、平沢唯さんに憧れて自分もギターを買ったという話をしました。 また、本文に関する作業をほぼ終えた私の新作長編小説のイラストやデザインについて、斜め前に座っている担当編集者さんに自分のアイデアを伝えたりもしました。 私の正面で謎の羊肉料理を食べている作家さんは本を出版したばかりとのことで、しかも各方面で話題とのことでした。縁起のいい出版エネルギーがその席に満ちているのを感じました。 その作家さんは藤田祥平さんという方で、めろんさんとは前から友達のようです。かつてめろんさんが藤田さんのことを「すごい才能の持ち主。ソシャゲーで例えればSRクラス」と評していたのを私は思い出しました。 出版したばかりの藤田さんの新刊はその席にいた私以外の全員が読んでいるようで、話題に取り残されるのを恐れた私はテーブルの下でiPhoneでその作品を検索しました。 すると画面に出てきたのがこちらの本になります。 なんだか凄く引き込まれる表紙。 本屋に置かれているのを見たら、きっと気になって手にとりたくなります。 ていうか、あれ? この絵は……? かつてどこかで観たことがある懐かしい景色の中に意識が吸い込まれるような、精神の集合無意識的な部分を刺激されて気分が朦朧としてくるような、それでいて謎めいた女の子と強く視線が合って緊張感を覚えるこの絵はもしかして……。 めろんさんに聞いてみるとやはりその絵は、ほとんどの滝本作品の表紙イラストを描いてくださっている安倍吉俊さんの手によるものでした。 いいなーこの絵。観ているとイマジネーションが羽ばたき、創作意欲が湧いてきます。

藤田祥平さんについて

安倍さん繋がりで藤田さんに親近感を覚えた私は、藤田さんの生い立ちやこれまでの人生についていろいろお話を伺いました。 藤田さんはウルフェンシュタインというFPSゲームの世界大会に出るために高校を辞めたという経歴の持ち主でした。好きなもの、つまりゲームにかける非人間的なレベルの情熱がお話の端々から伝わってきて、めろんさんが言っていた「SRクラス」という意味がおぼろげに感じられました。ぜひまたお会いして何か面白いお話を聞かせてほしいです。 あと驚くべきことに藤田さんはなんと私の「NHKにようこそ!」を大学生だった頃に読んでくださっていたそうです。 「当時、NHKを読んで、自分の中の何かが解毒されたような気がしました」という嬉しい感想までいただきました。 私が自分の新作の話をすると、「面白そう! ぜひ読みたい!」と言ってくださいました。ありがとうございます! というわけで、安倍さん繋がりでもあり、めろんさん繋がりでもあり、しかも「NHKにようこそ!」繋がりでもあり、ゲーム好きという点においても繋がりを感じる藤田祥平さんの本はなんとしても買わねばならない。そう決意した私は翌日、川崎駅のリニューアルされた駅ビルの書店でさっそく電遊奇譚を購入、そして本屋さんに併設されているカフェでゆったり読みふけりました。

電遊奇譚

その内容はというと、ゲームに関するエッセイ集ということになるのですが、各章に書かれた藤田さんの実体験のどれもが、それぞれひとつの宇宙を形成しそうなぐらい濃密で、異様なトリップ感のある本でした。 自分は川崎の最新おしゃれカフェでこの本を読んだわけですが、意識だけが本の中の、だいたいにおいて戦闘中の殺伐としたゲーム世界に引き込まれるような読書体験を得ました。 全体的な雰囲気のイメージとしては、何か超巨大なコンピューターがあって、その中にさまざまなゲーム世界を作るプログラムが無数に同時並行的に走っていて、意識がいずれかのプログラムに没入するたびに、眼前に新たな法則を持った世界が立ち現れるような感じです。 各章がそれぞれ別個の世界で、それぞれの世界は微妙にリンクしながらも、特有の深みを持っていて、その深みを極めようとするとどこまでも無限に深い穴の底にまで潜っていくことができるような、そんな深淵を感じさせる話がいくつも並んでいます。 それを読み進む度にふと宇宙の秘密に気づくような洞察を得たり、読者としての自分の足元が抜けて、真っ暗な宇宙の真空に投げ出されるようなコズミック・ホラー感を味わったりしました。 あるいは自分が超巨大コンピューターの中を走る一筋のプログラムになったような自我の不安感を得たり、あるいは暗くザラついた、おそらくプログラムで構成されている無機質な宇宙の中をあてもなくさまようひとつの孤独な意識になった気分になったりしました。 そして最終的には、この今の自分の体験も、もしかしたらひとつのVRゲームなのかもしれないとさえ感じられてきました。 この現実とは、多次元的な世界の中を意識が無限に旅する途中の一場面に過ぎないのかもしれないと感じられてきました。当然、そんなことを考えるとちょっと怖くなります。 ですが作品の中を通底して響いている、そして最後の方で特に熱く響いている作者の声のようなものがあり、それがなんといいますか、生命力を感じさせるもので、ほっとしました。それは、意識の前に現れるどんな世界であっても攻略してやるぞというような強い人間的な意思を感じさせるもので、それに触れるたびに、読者としてほっと安心感を得ることができました。

おそらくこのあと、VR技術、MR技術、AI技術、そういったものの発展によって、どんどんこの現実は、ひとつのゲーム体験から次ののゲーム体験への連続といったものに変わっていくと思います。 考えてみれば、これまででさえも、私の人生の時間の半分以上は、ゲームやアニメやマンガや小説や、つまり三次元的物理体験以外の、仮想的体験の中で送られてきました。今後ますますその傾向は増え、私だけでなく全人類的に仮想的体験の比重が増えていくのではないかと思います。 そのとき、三次元的現実の重みや中心性が失われ、無数の仮想体験がそれぞれひとつの自立した現実として立ち現れてくるであろう、その無限の世界の中で、どう人生と向き合うか、どう正気を維持するか、そしてどうその体験を楽しんで、自分を成長させていくかについて、多くの貴重な洞察が得られる、そんな本でした。 また、いままで沢山ゲームをやってきて、ものすごい量の時間を仮想体験に費やしてきた私ですが、本書の読後、そんな自分を肯定できそうな気がしてきました。 そして、これからの未来、技術の発展とそれに伴う人間の意識の進化に対して、期待とワクワク感をもっとたくさん感じられるようになりました。 電遊奇譚、ゲーム好き人間の全員にお勧めの力作です。

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