アリスと別れた僕らは高台を下り、住宅街を無目的に歩いていた。

 隣にはまだめたとんがいる。僕は聞いた。

「このあとどうするの? 帰るところはあるのか?」

「あ、あるよ……もちろん。家ぐらい」

「その家はよその家だったじゃないか」

「人間だもの、家を間違えることぐらい、あるよ」

「……今晩、本当に泊まるところがあるのか?」

「あるよ、あるよ……」

 その目は虚ろだった。

「どこにだよ」

「あっちの方だよ」めたとんは視線を斜めに泳がせた。

「そこまで送っていってやるから見せてみろよ。その家を」

「いいよ。恥ずかしいよ……」

「遠慮するなって」

「も、もう、さよならっ!」

 ふいにめたとんは夜道を駈け出した。

「えっ……?」

 鞄の中で弁当箱と何かがぶつかる大きな金属音を立てながら、めたとんは住宅街を走り去っていった。僕はその背中を呆然と見送ってしまった。

「…………」

 もしかしてあの人、本当に今晩、泊まる所がないんじゃないか……だとしたら僕の家にでも泊まった方がいいんじゃないか……そんな内なるお節介さが目覚めつつあった。

 僕は走って公園に向かった。

 シーソー前を通り、恐竜の遊具前で左右を見回す。

 めたとんの姿はない。

 僕は遊具のひしめいている公園辺縁部から、公園中央部に向かった。

 そしてゆるやかに回転しながら広大な芝生広場に足を踏み入れていった。

「…………」

 公園敷地内には街明かりが届かない。そのため頭上で星々がくっきり輝き、僕を取り巻いていた。

「…………」

 さまざまな星座が僕の回転とともに視界をよぎった。

 ひときわ青く眩しい星が正面に来たところで僕は足を止めた。その青い輝きの下、芝生広場の中央に、三本の巨木が黒い影を夜空に聳え立たせていた。

 その樹下に、一張のテントが張られていた。ふいにテント内に明かりが灯った。

 星空の下、巨木は影絵のようだった。その根元でテントは周囲を暖かく照らしていた。

 僕は近づいてテントの側面を押してみた。

「めたとん……ふみひろだけど」

「きゃっ」

 テント内から声が上がった。

「ごめん。驚かせちゃったかな」

 じじじじと音がしてテントのファスナーが開き、その隙間から液体のように溢れ出る光とともに、めたとんが顔を出した。

「驚き! 探して見つけてくれたんだね」

 なんだか嬉しそうだ。

「中に入って!」

 僕は芝生に靴を脱いで、四つん這いになってテントの中に入っていった。

 まず目に入ったのが、テントの一番高いところにぶら下げられている携帯ランプの眩しい光だった。

 次に見えたのが、ランプの眩しさの奥に、足を崩して座っている、下着姿のめたとんだった。

 テント内でめたとんは顔を赤らめた。

「さっきは恥ずかしくて。私、恥ずかしがり屋みたい……ごめんね、逃げて」

 家を間違えたことや、実はお金を使い果たして泊まるところがないことなどが恥ずかしく、発作的に逃げてしまったという。

「で、でも本当に行く宛はあるんだよ。ただ、住所を書いた手帳がどこかに行ってしまって。本当に、どこに行ったのかな」

 めたとんはポケットを探ったり、自分の手の甲をしげしげと眺めたりしていた。そんなところには、行く宛に関するどんな情報もないと思われた。

「そ、それより……ごめん!」

 僕はめたとんに背を向け、テントの外に出ようとした。自分の頬が熱を持っていくのが感じられる。

「どうしたの? ふみひろ」

 僕は振り返らずに、何がごめんなのかについて説明した。

「めたとん、下着姿だけど」

「暑いからね。夜の空気は涼しくて気持ちいいよね」

 そういうことなら何の問題もない気がしてきた。僕はテント内に戻った。

 テント上部の吸気口から差し込む夜風の下、めたとんは涼しそうに素肌を晒しており、そのごく一部だけが下着によって覆われていた。

 肌と髪の色が、はっとする色の対比を作り出していた。それは入り交じる光と闇の太極図を思い起こさせた。

 めたとんは足を前に投げ出して、くつろいだ様子でほほえんでいた。

「ふふ」

 だがあるとき、何かの回路が入ったかのように、めたとんは足を閉じ、胸を両手で隠した。

「きゃっ! 恥ずかしいよ」

「ご、ごめん!」

 急激に我に返った僕は、四つん這いになってテントの外に出ようとした。

 だが靴を履こうとする僕の背中に声が投げかけられた。

「どうしたの? ふみひろ」

 振り返るとめたとんに、もう恥じらっている様子はなかった。

「さっき、自分で恥ずかしいって言ったじゃないか。もう恥ずかしくないのか?」

「なんともないよ」

 めたとんはまた足を前に投げ出して座り、手を後ろの床についた。

「ほんとかな……」

 僕は不信感とともにテント内に戻ると、めたとんの横で、おそるおそる、くつろぎの態勢になった。

 だがその瞬間めたとんは胸を隠した。

「きゃっ! 恥ずかしいよ」

「あ、ごめん」

 面倒くさくなってきたので、僕はもう背を向け、外に出ようとはしなかった。

「恥ずかしいよ。ふみひろ……」

「そうか。恥ずかしいなら、暗くしてみるか」

 僕は腰を浮かせ、頭上のランプに手を伸ばした。

 つまみをひねり、光量を絞っていくごとに、テント内は暗くなっていった。

 めたとんの輪郭が暗闇の中に溶け込んでいく。

 光が薄れていくごとに、めたとんは怯える様子を見せた。

「あの、怖いよ……」

 めたとんは自分の腕を抱いた。

「へー、そうなんだ」

 僕は無慈悲につまみを『消』の方向へとひねっていった。

 ランプがほとんど光を発しなくなっても、めたとんは暗闇の中でうっすらと輝いているように見えた。だがそれもやがて完全に闇に飲まれた。

「…………」

 強い緊張を感じさせる浅い呼吸音が、予想より近くから、空気を介して僕に伝わって来た。

 この濃い暗闇のすぐ向こうに少女がいる。

「…………」

 誰だったっけな?

 こんなふうに暗闇に包まれて消えた誰かが、いつかどこかにいたような。

 僕は体温を感じる方向に手を伸ばした。

 指先が温かい空気の層をかすめた。

「…………」

 もっと深く暗闇の奥に手を伸ばそう。そうすれば届くかもしれない。

 僕は大きく腰を浮かせた。

 そのとき僕のポケットから、スマートフォンと、チラシの束がこぼれ落ちた。

 マジシャンの手によって並べられたトランプのように、チラシの束は床にさらさらと扇状に広がった。

 一方、スマートフォンは床に落ちて空中に跳ね上がった。

 衝撃で電源が入ったのか、それは一瞬、空中で、そのフラッシュを眩しく輝かせた。

 その束の間の閃光が、チラシの裏を照らした。

『光の小説 第一部 ~闇の迷宮~』というタイトルと、その後に続く文字列が、暗闇の中に浮かび上がった。

「…………」

 やがてスマートフォンは床に転がり、そのフラッシュは消えた。だがテント内が再び暗転したあとも、チラシの裏の文字列は僕の心に焼き付いていた。

 記憶に残るその文字列を僕は口に出した。

「耶麻川……みなみ?」

 暗闇の奥から返事らしきものが返ってきた。

「私、なぜここにいるかわからないし。ここは一体、どこなんだし?」

 僕は暗闇の中に手を伸ばした。

 向こうから伸びてくる手が僕を掴んだ。