バスの自動音声案内によって我に返った。

 僕は降車ボタンを押すと、隣でいびきをかいている少女の肩を揺さぶった。

 めたとんはロボットの再起動シークエンスのように、腕、首、肩、両足の関節を順に曲げ伸ばしすると、目をこすりながら電光掲示板を確認した。

「私もここで降りるよ」

 まもなくバスは停車した。僕とめたとんは住宅街の暗闇に足を踏み出した。

 まばらに立つ街灯の下を歩いてゆく。

「こっちだよ」

 めたとんは薬局の角を曲がった。僕の帰り道とは逆だったが、最後まで送っていこう。僕もそちらに曲がる。

「ふんふーん」

 めたとんの鼻歌に耳を傾けながらしばらく歩くと、夜の公園に通りかかった。

「懐かしいよね、こういう雰囲気」

 めたとんは公園に足を踏み入れた。木の枝の、覆いかぶさるような黒い影の下をくぐり抜けてゆく。木の根につまづいためたとんを助け起こす。

 まもなく遊具広場に辿り着いた。めたとんは恐竜を模した遊具の巨体を見上げた。

 恐竜の腹部からは滑り台が地面へと伸びていた。めたとんが近寄ると、滑り台はぼやけた鏡のように、彼女の髪と顔の輪郭を映した。その面影に僕はなぜか懐かしさを感じる。

「めたとんがいた北の国にも、こんな遊具はあるのか?」

「どうかな。向こうで私が好きだった遊び、それが何だったかは思い出せないよ」

 めたとんは滑り台にうつ伏せなった。

 怪しい挙動を見せるめたとんを無視し、僕は恐竜の側面に触れた。その冷たいざらついた感触が、昔の記憶を呼び起こした。

 そう……ここは近所で一番広く、緑が多く、遊具も豊富な公園なのだった。近隣の子供はここで遊び、育っていく。

 僕も昔、よく友達とこの滑り台を滑り、向こうにあるシーソーで上下に弾んだ。そこの木陰では、一台の携帯ゲーム機を二人で交互に使った。懐かしさに浸っていると声がした。

「ふみひろー!」

 めたとんだ。いつの間にか、向こうのシーソーに移動していた。地面を蹴り、一瞬、宙に浮いては、重力に引かれてすぐ地面に落ちるを繰り返している。

 僕は恐竜を離れ、シーソーの反対側に腰を下ろした。

「よっ」

 足で地面を押す。

 懐かしい浮遊感とともに僕は上昇し、そして下降した。

 正面のめたとんの背景は、地面から星空へとダイナミックに移り変わった。

 上昇と落下の遊びが、しばらくの間、繰り返された。笑い声が暗闇の下の緑の芝生に響いていく。

 公園を抜けた僕らはさらに夜道を歩き続けた。やがて僕らの前に緑に覆われた高台が現れた。

「あれだよ! あれが私の家!」

 めたとんは高台の頂上を指差した。

 その高台の側面を左右に蛇行する坂道に、僕らは足を踏み入れた。

「はあ、はあ……はあ、はあ」

 すぐにめたとんは息を切らした。坂道を昇る途中、何度も足を止め、膝に手をついて呼吸を整えている。

 僕は助け合いの精神を発揮し、めたとんの手を引っ張った。めたとんは倒れないギリギリの角度で僕に体重をかけた。

「くっ、重い」

 僕は発想を転換し、めたとんの背後に回って、巨大な鞄を両手で押した。

 めたとんは体重を僕に預け、体を斜めにしながら歩いていった。夜空を仰ぎ、完全にリラックスモードに入っている。

「星が綺麗だよね……」

「ふあー、着いたー」

 高台の頂上で、人ひとりの重みから解放された僕は、膝に手をつき、呼吸を整えた。

 顔を上げると、タンポポやシロツメクサが混じった芝生の奥に、三家族が住めそうな大きな洋風民家が建っていた。

 民家の脇には木がそびえ、夜風に枝葉を揺らしていた。その背後には星空が広がっている。

「行こう、あっちだよ」

 めたとんは民家の玄関に一直線に接近していった。

 僕はおそるおそるあとを追った。

 民家の玄関には『耶麻川荘』という表札があった。

「やまかわそう……? ここ、本当にめたとんの家?」

「この玄関を、何度もくぐった記憶があるよ、ここにね」

 めたとんは自分のこめかみ、その奥にあると思われる脳を指さした。僕の不安は強まった。

「ドアの開け方も知ってるよ。ここを掴んで回すと開くよ」

 めたとんは玄関のドアノブに手をかけ、力を込めた。それは回らないし開かなかった。めたとんは動じなかった。

「このボタンを押すと誰か出てくるよ」

 めたとんは呼び鈴のボタンに人差し指の爪をカツンと当てると、それを押し込んだ。ぴんぽーん、という澄んだ電子音が高台に木霊した。誰も出てこなかった。

「もっと押してみるね」

 めたとんは続けざまにボタンを押した。

 ぴんぽーん。

 ぴんぽーん。

 ぴんぴんぴんぴんぽーん。

 いつしかめたとんの指先はビートを刻み始めていた。やがてそれはかつて聴いたことのない異様なリズムとなって、高台の上に木霊した。

 その拍子は地球由来のものではないように思われた。あたかも太陽系外に住む宇宙的な部族の祭りの伝統的なリズムのようだった。

 そのループが三巡ほどしたところで、ふいに窓の奥に明かりが灯ったと思うと、インターホンのスピーカーから、おっとりとした女性の声が聞こえてきた。

「……誰ですの?」 

「めたとんだよ」

「あら、イタズラかしら?」

「めたとんだってば。開けてよ!」

 ドアの中から大人の女性が現れた。

 僕の母に匹敵する美しさと魅力を感じ、僕は知らず知らずのうちに息を呑んでいた。

 着心地が良さそうでありながら、体の線が美しく表現される衣服に身を包んでいる。

 その物腰からは、成熟性、柔和さ、しとやかさといった各種の気持ちいい雰囲気が発散されていた。その声も心地いい。

「あら、可愛いお客さんですね。こんばんは」

 めたとんより頭ひとつ背が高いその女性は、幼い子どもに接するように膝に手を当て、中腰になり、視線をめたとんに合わせた。

「こんな時間に何か御用かしら?」

 瞬間、めたとんはタックルするかのように、その女性に抱きつき柔らかそうな胸に顔を埋めた。

「ただいま、ママ!」

 女性は最初、戸惑っているようだったが、やがて両手をめたとんの背に回し、優しく抱きしめた。

 めたとんは、母に抱かれて安らぐ小動物のように目を細めた。

 温かさが、脇で見ている僕にまで伝わってくる。

 しみじみとした気持ちよさが感じられる抱擁だった。

 家族っていいよな。

 だが、しばらくすると安らぎが飽和状態を迎えたのか、彼女らはどちらともなく抱擁を解いた。そして、距離を取ると、不信感をたたえた目で互いを見つめ合った。

「あなた……どなた?」

「めたとんだよ。あなたさんこそ誰?」

「お、おい……ちょっと待てよ。親子じゃないのかよ。だったら、さっきのはなんだったんだよ」と僕。

「私は耶麻川まりいです。耶麻川荘の管理人ですよ」

「ふふ……来る所を間違えたみたい」

「ふふ、じゃないよ! 何をどうしたらそんな間違いができるんだよ!」

 激しく反応してしまう僕の耳元に、めたとんは手を当ててこそこそと囁いた。

「……行こう。私の家、ここではなかったみたい」そして僕の手を引いてそそくさと立ち去ろうとする。

 僕は振り返り、耶麻川まりいに叫んだ。

「ごめんなさい、夜分遅く失礼しました!」

 だが耶麻川まりいは優しくほほえんだ。

「あら、せっかく来たんだから、お茶でも飲んでいったらいかがですか?」

 非人間的なまでの優しさが感じられる提案だ。僕とめたとんは顔を見合わせた。

 だがそのとき玄関の奥からドタドタと何者かが走る音が聞こえてきたかと思うと、小学生らしき背格好の少女が、耶麻川荘の玄関からさっと顔を出した。

 その顔立ち、どこかで見たことがあるような……。

「まりいちゃーん、どうしたのかにゃ? ……あ、そ、その人! 駅前でパフォーマンスしてた人だにゃっ!」

 少女は素早くサンダルを履いて、庭の僕らに駆け寄ってきたかと思うと、めたとんに至近距離から憧れに満ちた視線を投げかけた。

「あら未紗ちゃん、この方達のお知り合いだったのね」

「駅前で感動して、私、なけなしの五百円を払ったにゃ!」

「あぁ、あのときの小学生か」と僕。

 だが、なんだか腑に落ちない。

 もっと昔にも、どこかで見たことがあるような。

「あら、無駄なお金は一円も使わない、必要なお金も使おうとしない未沙ちゃんが五百円も出すだなんて、どんなパフォーマンスなのかしら?」

「それを言葉で表すのは難しいにゃ。見なきゃ絶対わからないにゃ」

「見てもわからないけどな」

 そう呟いた僕に、未沙という少女はトゲトゲした視線を向けた。

「……そこのお前、さっきから何、私の顔、ジロジロ見てるにゃ」

「な、なんだよ、人の勝手だろ。お前こそ何こっち見てんだよ」

「見てなんかいないにゃ。睨んでるだけにゃ。このお方のパフォーマンスの価値もわからない、芸術について何もわかっていない者が、なぜこのお方の隣にいるにゃ」

 未沙という名の少女は僕より頭一つ小さいのだが、何か粗暴な雰囲気を発しているよう感じられた。獣のような眼光が斜め下から僕を威圧してくる。

 圧力を受けた僕は一歩後退したが、なんとか踏みとどまり、押されたら押し返すの原理に従って、未沙とやらにできる限りの圧力をかけた。

「芸術? そんなものはなあ、僕だっていろいろ考えてる。凄くな」

「嘘にゃ! 芸術のことを深く考えている人間なら、このお方の、あれだけのパフォーマンスを観たなら、興奮せずにはいられないはずにゃ!」

「子供のくせにお前に何がわかるっていうんだよ。ていうか、そもそもあれは芸術だったのか?」

「子供じゃないにゃ! もう立派な女子高生にゃ!」

「あれは芸術だよ。もちろんね、ふふ」少し離れたところでめたとんはニヤニヤしている。

「ほんとかよ……」

「ほら、何もわかってないのはお前だけにゃ!」

「うるさいな。……さっきからその語尾は何のつもりなんだよ。猫にでもなったつもりか? ぜんぜん似合ってないし、可愛くもないんだよ」

「て、てめえ、もう怒ったにゃ! 言葉でわからないなら体にわからせてやるにゃ……この世の人間は本当にわからず屋の、頭の固い、モノの良し悪しのわからないノータリンばかりにゃ!」

 未沙という頭のおかしい少女は腕まくりすると、その瞳に暴力的な光を輝かせた。まりいとめたとんは、少し離れたところで寄り添うように観戦する構えのようだった。

 未沙の保護者的立場と思われるまりいが、そのような観戦的立ち位置を取ったということは、僕が未沙に物理的な制裁を加えることについて、社会的な許可が出たと考えていいだろう。

 この失礼な子供の、伸びすぎた杭のような自己主張を、叩いて凹ませてやる。それは僕の内側から湧き出る自然な欲求でもあり、年長の者としての社会的な義務でもあった。

「来るなら来い」

 背も体重も僕の方がある。スポーツ科学的に考えて、ちょっと突き飛ばすだけで勝てるはずだ。

 だが未沙はさっと身をかがめたかと思うと、鋭く僕の足元に踏み込み、手を伸ばして僕の足首を取った。

「うっ!」

 僕は芝生に転がされた。だが学校で柔道を学んでいたことが幸いし、僕は無意識的に顎を引いて受け身を取り、後頭部を強打することを免れていた。

 しかし気がつくと僕の右足首は未沙の脇に、がっしりと抱え込まれていた。僕の右足全体が未沙の両足に絡め取られていて、引き抜くことができない。

「まいったと言うにゃ! 私に暴言を吐いたことを謝るにゃ!」

「誰が謝るか、ばーかばーか!」

 挑発しながら全力で未沙の拘束から逃れようともがく。だがもがけばもがくほどアキレス腱が締め付けられ、足の甲にも強い圧迫が加えられていく。

 い、痛い。

 痛い!

「早くまいったと言えにゃ!」

「う、うるさい、お前みたいな小学生の暴力には絶対に屈しないぞ!」こうなったら僕の足に絡みついている未沙の足を取り、逆に何かしらの技をかけてやる。技? そんなものは何も知らないが、哺乳類の体の構造上、本来曲がらない方向に関節を曲げてやれば、何かしらの痛みを与えることができるはず……という僕の試みは、ふいに体勢を変えた未沙に遮られた。

「小学生じゃないにゃ! 立派な高校一年生にゃ!」

 未沙はそう叫びながら僕を瞬時に裏返したかと思うと、僕の両足を脇に抱え込み、僕の体を逆エビ型に反り返らせた。背骨が反対側に曲がり、腹部が圧迫され、通常の生活の中では感じることのない苦痛が僕の全身に走った。僕は本能的な叫びを発した。

「わかった! まいった! ごめん! 謝る!」

「もう遅いにゃ……泣くまで痛めつけるにゃ」

「僕が間違ってた! 本当にごめん」

「泣くまで痛めつけると言ってるにゃ。芸術を理解しない野蛮人は、泣いて悔いるがいいにゃ!」

「ごめんごめん許して! あー!」

 視界の隅に腹を抱えて笑っているめたとんとまりいが見えた。僕の喉からリアルな悲鳴が謎のデジャヴとともにほとばしった。まもなくめたとんとまりいの顔から笑顔が消え、彼女たちは走って駆け寄ってくると、未沙を僕から引き離した。

「ご、ごめんなさいね! この子、芸術のことになるといつも頭がおかしくなるのよ。ほら未沙ちゃん、暴れないで! 深呼吸して落ち着いて!」

 まりいに羽交い締めにされた未沙は、両手両足をばたつかせながら、耶麻川荘の玄関に引きずられて行った。

「てめえ、今度会ったらまた泣かせてやるからにゃ!」

 そこでバタンと扉が閉じた。

 庭の芝生に、誰かの嗚咽がかすかに響いていた。

「ふみひろ、泣いてるの?」

「ま、まさか」

 僕はさりげなくめたとんから顔を隠すと涙を拭った。

 めたとんは僕の背中をぽんぽんと叩いた。

 小学生のころ、いじめっ子にハードにいじめられた記憶がふいに蘇ってきた。

「う……」

 じわっと涙の第二波が滲んだ。

「よしよし」

 めたとんは引き続き、僕の背をぽんぽんと叩いた。

「う、うぐっ……」

「よしよし、よしよし」

 ぽんぽん、ぽんぽん。

「うぐっ、ひぐっ……」

「よしよし、よしよし、よしよし、よしよし」

 ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん。

 一定のリズムで背中を優しく叩かれているうちに、まもなく悲しみはピークを迎え、やがて次第に波が引くように消えていった。

「…………」

 あとには強い恥ずかしさが残ったが、それは照れくささに変化し、さらにそれは親密さへと変わっていった。

「助けるの、遅くてごめんね」

「ひどすぎる。あんなに笑って!」

「次はすぐに助けるね」

「別にいいよ! 次は絶対、負けないから」

「どうかな、ふふ」

 僕たちは耶麻川荘を離れた。

 何度かめたとんは名残惜しそうに、高台の上の洋風民家を振り返った。脳の中の古い記憶を懐かしむように。

 高台の側面を右に左に蛇行する道を下る途中、僕の学校の制服を着た女子が、下から上に昇ってきた。

 顔が見える距離まで近づいたところで僕は驚いた。

「誰かと思えば、アリスじゃないか」

 手に通学鞄を持ち、背中にクワを担いでいる。クワの刃はよく研がれているようで、月明かり、星明かりを反射してきらめいている。

「おや、ふみひろじゃないか。耶麻川荘に何のようだ?」

「ちょっとたまたま……アリスこそ、どうしてここに?」

「私は耶麻川荘に下宿しているんだぞ。私の実家は遠いところにあるからな」

 耶麻川荘にはさまざまな地方から単身やってきた学生が他にも数人、下宿しているという。まりいさんの料理は当たり外れが大きいという。

「へー、そうなんだ。あ、この人は……」

 僕はめたとんを『さっき道端で仲良くなった人』としてアリスに紹介し、アリスを『なんか変な同級生』としてめたとんに紹介した。

「ふふ、よろしくね」

「ああ、よろしく。私は山田アリス。自作部の部長をやっている。ところで……」

 アリスとめたとんは立ち話を始めた。初対面だと言うのに、意外にそれは盛り上がりを見せた。何か波長が合うものがあったのか、アリスとめたとんの立ち話は長くなりそうだった。

「…………」

 ふと脇を見ると、古びたベンチが道端に置かれていた。少しペンキが剥げているが、座り心地が良さそうだ。坂道の中腹、見晴らしのいい場所に設置されているそのベンチは、草むらに隠れ、白い花々に周りを飾られていた。

 僕はベンチの真ん中に腰を下ろした。

「…………」

 頬に風を感じる。

 僕の暮らす町が星空の下に広がっている。

 学校はあっちかな。

 駅前はあそこで、公園がそこで、僕の家はこっちだな。

「はー……」

 花の香りに包まれ、僕はベンチで一息ついた。

 夜風が町の上空を吹き抜けていく。

「ふー……」

 僕の周りの気温がふいに上がった。立ち話に疲れたのか、右にめたとん、左にアリスが腰を下ろしたのだ。少し肌寒さを感じていたので、温かさが嬉しい。

 タイミングを見計らい、僕は彼女たちの世間話に割って入った。

「そういえば、あいつは一体何者なんだ。あの変な語尾の女は」

「ああ、未沙と会ったのか……彼女は変わり者ばかりの耶麻川荘の中でもトップクラスの変人だ」

「ふみひろ、泣いたよね。かわいそうだったよね」

 めたとんは身振り手振りを交えて、高台での出来事を説明した。アリスは背中を震わせて笑った。心の痛みが僕の中に蘇ってきた。

「まったく、なんだったんだよ、あいつは! 頭がおかしいんじゃないか」

 アリスはふいに深刻な表情を見せた。

「……未沙はな、呪われているんだ。芸術に」

「心の病気か何かか?」

「いや、ずっと、芸術について考え込んでいるんだ。取り憑かれたように」

「考えてるだけか!」

「未沙は美術部、写真部、漫画部、軽音楽部、映画部に次々と体験入部しては次々と辞めているんだ」

「辞めてるのか! 結局何もやってないじゃないか!」

「どうやら絵を描くことも映画を撮ることも、思ったより難しかったらしい」

「飽きっぽいだけだろ!」

「いいや、未沙はやるときはやる人間だ。『小説という芸術を極めるにゃ! 早く何か創らなきゃダメにゃ!』と言って、最近はずっと放課後に執筆作業を頑張っていたんだ」

「小説? 面白そうだよね!」とめたとん。

「実は未沙が数ヶ月前から授業中と放課後に書き溜めた原稿がここにある」

 アリスは鞄から分厚いチラシの束を取り出した。

「未沙が『どうしてもハッピーエンドに辿り着かないにゃ! 光を描くためにまずは闇を描いてみようとしたら、闇は底なしで深まるばかりにゃ! こんなの失敗作にゃ!』と叫んでゴミ箱に捨てたものを、私がこっそり回収してきたんだ」

「なんだこれ。スーパーのチラシじゃないか」

「裏を見てみろ」

 軽く百枚はありそうなチラシの裏面は、ボールペンによって書かれた細かな文字列によって埋め尽くされていた。

「……なんでわざわざチラシの裏に?」

「わからない。何か未沙なりの考えがあるのだろう。ふみひろ、読んでみないか?」

「やだよ。なんであんな奴の小説を……」

「私しか友達がいない未沙が、他の誰かとプロレスごっこをして遊ぶだなんて、前代未聞のことなんだ」

 また心の痛みと足の痛みを思い出して唇を噛んだ僕の手をアリスは取った。そしてアリスはそこにチラシの束を載せた。ずっしり思い。

「頼む、ふみひろ……この小説を話のネタにして、未沙の友達になってやってくれないか」

「…………」

 しかたない。

 友だちになるかはともかく、チラシの束をパラパラとめくってみる。

 僕の肩越しに、めたとんもチラシの裏を覗き込む。

「…………」

 未沙の小説、その最初のページには作品タイトルが太いマジックペンで強く殴り書きされていた。

「『光の小説』?……どんな話なんだ?」

 アリスは、知らない、わからない、と肩をすくめた。