雪が降り始めたみちのく商店街を、俺は肩をすくめて早足で歩いていた。

 俺の帽子に、黄色いマフラーに、粉雪がふわりと降りる。

 とても寒いからか、みちのく商店街には俺以外、誰も歩いていない。

 と思ったら、ふいに和菓子屋の隣、タバコ屋の角から女が現れて、俺の前方を歩き始めた。

 俺は驚愕した。

 その女の頭には猫耳が生えていたからだ。

 猫耳の生えたその女は淡いピンク色のコートを着て、雪の降るみちのく商店街をしなやかな足取りで歩いていた。

 猫耳の女はイヤホンをしているようで、歩くたびに耳からポケットへと延びる白いコードが左右に揺れていた。髪に隠れてはいるものの、それは通常の人間の耳に差し込まれているようだった。

 その、一般的な場所にある耳とは別に、猫の耳の形をした、耳状のものが、頭の上部についているのが、俺が歩いている後方から確認できた。

 女と適切な間隔を保って歩きながら俺は考えた。

 コスプレなのかもしれない。

 猫耳のアニメキャラか何かを模して、頭に特殊なアタッチメントを取り付けているのかもしれない。

 だが、だとしたら、その猫耳状の器具は、あまりに高性能だった。

 車のクラクションや風の音に反応して、右に左に動いている。

 それだけではない。

 女が道路脇の商店の窓、その奥に飾られている衣服を見て、それについて腕組みをして考え事をしているときも、その猫耳はぴくぴくと動いている。まるで頭の中で何かの計算が激しく行われていることを表現しているかのように。

 俺は勇気を出してその女に声をかけてみた。

「あの。それってどこで売ってるんですか?」

「え? 何がにゃ?」

 女はイヤホンを外しながら振り向くと俺を見た。

 その瞳の瞳孔はやはり猫のように縦長であった。虹彩の色は美しい金色であった。カラーコンタクトなどをはめているわけではなく、裸眼のようである。

「その頭についてる奴ですよ。それはどこで売ってるんですか?」

 俺は猫耳を指さした。

「え? これは耳にゃ」

 女はそう答えた。

「え? それ、本当の耳なんですか?」

「耳に偽物も本物もないにゃ」

「じゃあ、こっちの方の耳はなんなんですか?」

 俺は顔の側部、髪に隠れている人間の耳の方を指さした。

「え? これは……これも、もちろん耳にゃ」

「じゃあ、上の、こっちの方は?」

「これも……耳にゃ」

「なんで耳が合計で四個もあるんですか?」

「何を言ってるにゃ。耳が四個もあるわけないにゃ」

「いや、だって、さっきまでイヤホンをはめていたこの耳。これは左右に二個ありますよね」

「そうにゃ。当然にゃ」

「じゃあ、この二個の耳に、この頭の上の方についてる二個の耳を足したら、耳の数は合計でいくらになる思いますか?」

「それは……四つにゃ」

「ほら、あなたは自分で認めたわけです。自分には四つの耳があることを」

「ほ、ほんとにゃ!」

「そう、あなたは四つの耳を持っているんですよ。それっておかしくないですか?」

「おかしいにゃ!」

「しかも上の方についてるこの耳……これは人間の耳じゃありませんよね。猫耳ですよね。ほら、見てください」

 俺は洋品店の窓ガラスを指さした。

 女はそちらを見た。明るい道路よりも相対的に暗い窓ガラスを見たためか瞬時に瞳孔が細い縦長に変化した。その様子が窓ガラスに鏡のように映っている。

 女は驚いた顔をして、口元に両の握り拳を当てていた。

「どうしてそんな驚いた顔をしているんですか?」俺は聞いた。

「驚かないわけがあるわけないにゃ! だって、私の頭に、猫の耳がついてるなんて、そんなの驚くに決まってるにゃ!」

「ふーん、おかしいですね。あなたそれ、自分の体についている自分の耳でしょう。なのにどうして驚くんですか? そんなの変でしょう」

「変にゃ! おかしいにゃ!」

「そもそも、あなたのような耳を持った存在が、こんな普通の三次元空間の街角をうろついているだなんて、おかしいとは思いませんか?」

「思うにゃ!」

「しかも耳だけではない、こっちなんてもっと変かもしれませんよ。ちょっと失礼しますね」

 俺は女のコートをめくりあげようとした。

 女は裾を抑えて抵抗した。

「ちょっと、何するにゃ!」

「何するにゃ、じゃないでしょう。猫耳があるってことは、もしかしたらこっちの方にも、何か変なものがついているかもしれない。確認しないと」

「しなくていいにゃ! やめてにゃ!」

「ダメです、後ろから見てて、ずっと気になってたんですよ。このコート、お尻のあたりが不自然に膨らんでますよね。この中に、何が入っているんですか?」

「何も入ってないにゃ! ダメにゃ! コートをめくりあげちゃダメにゃ!」

 女は必死でコートの裾を押さえ、その中身を隠そうとしていたが、女の手が裾の前方を押さえたなら俺は後部をめくりあげようとし、女が後部を押さえたなら、俺は前方をまくり上げるという手法によって、少しずつコートの裾を上へ上へとまくり上げていった。

「こんなの嫌にゃあ! 誰か助けてにゃあ!」

 雪の降る商店街には人通りが無かった。

 窓の向こう、薄暗い洋品店の奥では、ヤカンの乗った石油ストーブ色がオレンジ色の光を発していた。その手前には赤い色の厚手のセーターを着たマネキンが立ち、その横で静かにオルゴールが回転していた。店員の姿は見えない。

「いいんですか? もし人が来たら、あなたが耳を二組も持っていて、しかもコートの中に何かを隠している女であることが、大勢の人にバレてしまいますよ」

「い、嫌にゃ。それは一番嫌にゃー!」

「だったら俺にだけ見せてください。そのコートの中身を。俺は誰にも言いませんから、俺にだけ見せてください」

「ほ、本当かにゃ? 私の耳が二組あることも、そのうちの一組が猫耳なことも、絶対に誰にも話さないでくれるかにゃ?」

「もちろんです。ほら、これをあげましょう」

 俺は自分が被っていた帽子を女に差し出した。

 女はそれを受け取ると、恐る恐る頭に被せ、窓ガラスを見た。

 洋品店の窓には帽子によってすっぽりと猫耳が隠れた女の姿が映っていた。それを確認した女は、喜びと安心の表情を俺に見せた。

「はあ……助かったにゃあ。これで誰にもバレずに、もっと向こうの方まで歩いていけるにゃ」

「そうです。この帽子を被っていれば、あなた、そんな猫耳なんて、剥き出しにして歩かずにすみますよ。そうすればあなたが、そんな猫耳の持ち主だってことは誰にも気づかれずにすみますよ」

「ありがとうにゃあ」

「ですが……約束は約束です。この帽子をあげる代わりに」

「代わりに、どうすればいいのかにゃあ?」

「そのコートの裾をめくりあげてください。そしてその中にあるものを私に見せてください」

「い、嫌にゃあ。そんなの恥ずかしいにゃあ!」

「だったらその帽子は返してもらいます。ですがそうなると、あなたはこれから先の道をずっと、その耳をさらして歩いてゆくことになりますがね。私ならどちらでもかまいませんよ」

「どうしても……どっちかを選ばなければいけないのかにゃあ」

「そうです。今、ここで、あなたが選択しなければいけないんです。私に帽子を返すか、それとも、コートの裾を託しあげて、その中に隠されているものを私に明らかにして見せるか、二つに一つです」

 女が耳をぴくぴくと振るわせて頭の中で損得の計算をしているのを俺は興味深げに眺めていた。

 そしてその一時の待機時間の中で、俺の意識はふと内側に向いた。

 それにしても……俺がこのような優位性のある立場に、かつて一度でも立った経験があっただろうか。

 帽子という持ち物による優位性、俺自身の中にいっさい何も恥じいるべきものが無いという優位性、その余裕から来る観察力によって相手が恥じているものを見つけ、それを指摘するだけで相手は勝手に恥じいり、自らの力を俺に譲り渡すという奴隷的人間心理の働きを掌握していることから生じる優位性。

 そう……相手は自分の一部を恥じており、俺はその恥の感情をコントロールする立場にある。

 俺はこの初めての感覚をより深く味わうため、自分の内面を探り、優位な立場から人をコントロールするという行為がもたらす、権力の感覚、その本質を深く感じようとした。

 思えば俺はこの感覚をリアルな体験として味わったことは一度もなく、ただ夢想の中でこの感覚を想像し、人を支配する夢を見続けてきただけだった。

 しかし実際の生活の中では俺は支配される側だった。

 目の前にいる猫耳の女は自分の猫耳を恥じていた。

 そしてそれを公衆の面前にさらけ出しながら歩いていることを俺に指摘され、それを自覚した瞬間、女は恥ずかしさゆえに見ず知らずの俺に支配権を明け渡した。

 その女はまるで、昨日までの俺のようだった。

 昨日までの俺は、俺のあらゆる部分を恥じていた。

 今、目の前の女が恥じているものは、猫耳や、コートの中に隠されている何かなどの、そんな目に見える、いくつかの、形あるものに過ぎない。

 しかし俺はずっと恥じていた。

 目に見えるものだけではなく、心の中にあるすべての目に見えないものまでをもはじていた。

 当然、この女と同じように自分の肉体のことも恥じていた。決して美しいとは感じられない、基準に達した美しさを持っているとはとうてい思えないこの己の肉体を恥じていた。

 そして俺が今までしてきたあらゆる行動と、してこなかったあらゆる行動と、俺の精神のありようのすべてと、その精神が生み出すあらゆる感情と思考を俺は恥じていた。

 だからその恥ずべき部分を少しでも人目から隠そうとして、俺はありとあらゆる努力をしてきた。

 だが、恥ずべき部分を人目から隠そうとすること。

 恥ずべき部分を、努力や、自己改造によって、恥ずかしくないものに変えようとすること。

 それこそが支配を受け入れるということだったのだ。それこそが奴隷になるということだったのだ。

 恥ずかしい、恥ずかしくない。

 劣っている、劣っていない。

 基準に達している、達していない。

 間違っている、間違っていない。

 それは、人の作った、人造的な境界だ。

 その境界を受け入れ、自分をそれに合わせようとすること。

 それが、奴隷になるということなのだ。

 俺は運良く、そのからくりに気づき、もう二度と、もう二度と、もう二度と、絶対に、絶対に、自分のどのような部分をも恥じてなるものかと、昨夜、深夜二時頃に固く誓った。

 なぜ俺がその支配と被支配のからくりに気づけたのかというと、別にそれは俺の手柄ではない。

 そう、それは昨日の、深夜二時頃のことだった。

 俺は自販機で買ったミネラルウォーターを片手に、近所の河原を散歩していた。

 すると、なんということだろう。

 一人の老人が白髪を振り乱して、河原のすすきをかき分け全力で走ってくるのが見えたのだった。

 どうやらその、ボロを着て、右手に杖を持った皺だらけの老人は、手に懐中電灯を持った男女の一群に追われて逃げているようだった。

 老人は俺の方に駆け寄ってきたかと思うと、俺の背に隠れた。

「見所のある若者よ。儂を助けてくれ」

「え? どうしたんですか?」

「見てわからんか? 儂はあいつ等に狩り出されようとしているところじゃ」

「ひどいですね。あなたみたいな老人を若者が狩り出すなんて、これは事件ですよ」

「儂を助けてくれたら、おぬしにいいものをやろう」

「え? 何をくれるんですか?」

「世界の半分じゃ。そしてそんなものを、おぬしにあげられる力を持っている儂が何者なのか、頭のいいおぬしならば、わかるじゃろう?」

 そう言われて俺はなんとなくわかった気がした。

 世界の半分を俺にくれようとしている者、それは世界の支配者に違いない。

 しかしそういう取引を持ちかけてくる支配者というものは、その支配権を失う五秒前にあるということを俺は様々な故事逸話から学んでいた。

 それゆえに俺は、このような場でもっともクレバーと思われる取引を老人に持ちかけた。

「いいでしょう。私があなたを私の家にかくまってあげます」

「おぬしの家はどこにあるんじゃ?」

「ここから北北東の方に歩いて五分ぐらい、バス停近く、黄色いコンビニ近くのワンルームアパートです」

「良かろう」

「ただし、その前に」

「なんじゃ」

「さっそく世界の半分をください」

 老人は嫌そうな顔をしたが、「仕方がないのう」とうめくと、ボロボロの汚い衣服のポケットに手を入れると何かを取り出した。

「ほれ。お主に世界の半分をやろう」

 そう言って老人が俺に手渡したのは、コーラのペットボトルだった。フタは開いており、中身は空っぽだ。

「ちょっと、これはゴミじゃないですか。バカバカしい。何が世界の半分だ」

「見かけに惑わされてはいかん。若者よ。これは聖杯じゃ」

「聖杯?」

「そうじゃ。歴史上のあまたの立派な王や騎士が探し求め、だがついに手に入れることが叶わなかった聖杯じゃ」

「ふーん」

「疑っておるな。だが、これに何か適当な水を入れて飲んでみるがいい。そうすればおぬしの中に、世界の半分が戻される」

「戻される?」

「そうじゃ。儂がおぬしに、世界の半分をやるということは、逆に言えば、お主から儂がずっと奪っていた世界の半分を、お主に返すということなのじゃ。儂がお主から奪ってていたものを、これからお主に返すが、お主はそれを受け取ることを望むか?」

「いや、ちょっと待った! どういうことですか? 俺があんたに奪われていた? 何を? いつの間に?」

「だから世界の半分じゃ。儂がお主から奪っていたのじゃ。その中には『大切なものを奪われてしまった』というお主の記憶も含まれておる。だからお主は忘れておったのじゃ。自分の世界が半分、儂にコントロールされていたことを。懐中電灯を持って追いかけてくるあの若者どもは、それに気づいて、世界の半分を取り戻そうとして、儂を狩ろうとしておるのじゃ」

 全面的に信じがたい話であった。

 しかしそのとき俺は、この俺の目の前に急遽訪れた謎のエピソードの、どことなく象徴的、神話的な雰囲気を目ざとく嗅ぎとった。

 そう、一見、この老人が俺に差し出しているペットボトル、それは明らかにタダのゴミにしか見えないが、実は老人が言うとおりの特殊な力を有している可能性がある。

 また、これが仮に見た目通りゴミだとしても、明日はカン・ビン・ペットボトルのゴミの日だ。だからこれをもらうことについては何の問題もない。

「わかりました。とりあえずこれはもらっておきます」

 俺はペットボトルを受け取った。

「そして謎のご老人よ。約束通り、あなたを俺の家でかくまってあげます、と言いたいところですが、それは破棄します」

「なんだと。おぬし、約束を違えるというのか?」

「あなたの話では、俺から世界の半分を奪っていたのは、あなただそうじゃないですか。だとしたら、それを返してもらうのは俺の正統な権利だ。だからこのペットボトルは、何の交換条件も無く、俺がもらってしかるべきものです」

「卑怯者め!」

「なぜ? 俺は俺のものをただ取り返すだけだ」

「儂のアドバイスが無ければその力を正しく使うことはできんぞ!」

「俺はそのときそのときで最善の選択をします」

「おぬしのような若造に、何が最善なのかどうして分かる?」

「わかるに決まっているでしょう」

 俺は大声で懐中電灯を持った若者たちを呼んだ。

「おーい、君たち。君たちが探しているらしい老人はここにいるぞ」

 懐中電灯を持った若者たちは走って集まってきた。老人はライトに取り囲まれた。そして若者たちによって、どこかに連行されていった。

 俺は尻ポケットに入れていたミネラルウォーターのボトルから、老人が聖杯であると主張していたコーラのボトルへと水を移し、その水を飲んだ。

 わずかにコーラの香りがするただの水のように思えた。

 だが若者たちの一人が俺に声をかけてきた。

「それは聖杯ですね。こちらに渡してもらいましょう」

「渡さないと言ったら?」

「もう聖杯から水を飲んで自分の世界を取り戻したのですから、それはあなたにとって、もはやただのペットボトル、ゴミに過ぎません。しかしまだその水を飲んでいない人々にとっては大切な聖杯なのです」

「そういうことなら、どうぞ」

 俺はおとなしくコーラのボトルを若者に渡した。

 若者はそのボトルを真っ暗な川に向かって放り投げた。

 唖然としている俺に若者は言った。

「あの聖杯は海へと流れ、そしてこの星の水のすべてを聖なる水へと変えていきます。いずれ世界中に効果があらわれるでしょう。それはまもなくのことです」

 そう言い残すと若者は去っていった。老人も若者ももはやいない真っ暗な河原に俺はひとり取り残されていた。

 自宅に帰って寝て起きると、俺は全身に自信がみなぎっているのを感じた。それだけではない、昨夜までの俺を縛り付けていた、俺の心の中の、俺を縛る鎖、そのすべてが消滅していることを知った。

 そして朝、自宅を出た俺はコンビニでおにぎりを買うと、それをかじりながら、何か面白いことでもおきないかなと、みちのく商店街へと繰り出し、そしてこの猫耳の女を発見したのだった。

 女は自分の持っている属性をしきりに恥ずかしがっていた。

 しかし俺には恥ずべきものがない。

 それが俺の強みだった。

 昨夜まで俺の心の隅々にまで巣くっていた、「これは恥ずべき部分である」「これは隠すべき部分である」という、レッテル、そのすべてが俺の中から消滅していた。

 レッテルが貼られたものこそが、恥ずべきものとなるのだ。

 レッテルを剥がされたものは、もう恥ずべきものではない。

 そのからくりに気づきさえすれば、どのようなものも、堂々と受け入れることができるもの、愛すべきものへと変わる。

 そのように、自分のあらゆる属性を受け入れる力、愛する力、これこそが、『世界の半分』だったのだ。

 もし俺が猫耳を持っていたとして、そして宇宙の全員が俺の猫耳に、「それは恥ずべきものである」というレッテルを貼ろうとしても、俺は自分の猫耳を愛し続けることができる。

 なぜなら俺の世界にあるすべてのものをどのように認識するかは俺の自由であり、誰であっても、たとえそれがこの宇宙の究極の神であっても、その自由を奪うことはできないからだ。

 だから俺はたとえ猫耳を持っていても、それ以上に変なものが自分の中にあったとしても、そしてそれを誰にどのように指摘されたとしても、もはや絶対に恥じいることなどない。

 だがこの女は自分の一部を恥じている。

 愚かな。

 それは哀れな生贄になることを自ら受け入れることなのに。

 だがこの女はわかっていない。

 自分にはどのようなものをも許し、肯定する力があるということを。世界のすべてを愛することができる力があるということを。

 どのような、ありとあらゆるものをも、愛する力があるということを、この女は何もわかっていない。

 だからこの女は支配されてしまうのだ。

 このように。

「は、恥ずかしいにゃ……でも、しかたがないにゃ」

 みちのく商店街の洋品店の前で、猫耳の女は顔を赤らめながら、コートの裾をゆっくりとたくし上げ始めた。

 俺は息を飲んでその様子を至近距離から観察した。

 コートの内部からは、やがて、ふさふさした、金色の尻尾の先端が顔を覗かせた。

 俺は尻ポケットからiPhoneを取り出すと、カメラを起動し、レンズを女とその尻尾に向けた。

 しっかり女の顔と尻尾の双方が一枚の写真に収まるよう角度を調整する。

 俺は撮影ボタンを押す前に、女の承諾を求めた。

「これ、撮影していいですよね」

「ダメにゃあ! そんなのダメに決まってるにゃ」

 女はコートの裾をたくしあげながら答えた。

「そうですか。残念ですね。それでは、私の帽子を返してください。私の予想では、もうすぐこの街に人があふれ始めます。そうしたら全員があなたの猫耳に気づくはずです。それでいいんですか?」

「い、いやにゃあ……」

「では、写真を撮る許可を出してください」

「わ、わかったにゃ。写真を撮ってもいいにゃ」

「いや……なんだか気が進まなくなってきました。むしろその猫耳を、街ゆく人全員に見られて、あなたが恥ずかしがっているところを見たくなってきました」

「そんな、ひどいにゃ。許してにゃ。どうしたらいいかにゃ」

「もしどうしても帽子が欲しいなら、こう言ってください。『お願いです、私の尻尾の写真を撮影してください』と。そしてその尻尾をよく写真に映るように、もっとピンと伸ばしてください」

 その女はしばらくの間、逡巡していた様子を見せたが、あるとき、ついに俺の言いなりになり、その美しい尻尾をピンと伸ばした。

「お願いにゃ。私の尻尾の写真をそのiPhoneで撮ってくださいにゃ」

「いいでしょう。その尻尾の写真を撮ってあげます」

 そのようにして、一度、俺の言うことを聞いてしまうと、女はもう、どのような理不尽な命令でも聞くようになった。

 目に見えない心理的な鎖で縛られた猫耳の女を従えて、俺は街を歩いて行った。

 さらに街を奥へ奥へと歩いていると、途中、様々な、独特なものをもった女、そして男を俺は見かけた。

 俺がそれを指摘すると、彼、彼女らは、自分が持っている独特なものを恥じ、すぐに俺のコントロール下へと入る様子を見せた。

 だんだん俺はこのような、人を恥の感情によってコントロールする遊びにも飽きつつある自分に気づきつつあった。

 何かに飽きてしまったとき、どうすればいいのか。

 それは決まっている。

 そんなものは放り投げて、何か新しい、もっと面白いものを創りだすことだ。

 ということで、俺はこの繰り返される恥とコントロールの遊び、いわば『神と生け贄のゲーム』をもうやめることにした。

 しかしこのゲームをやめるには、どうやら全員、一緒にやめる必要があるようだった。なぜなら俺一人だけで勝手にこのゲームをやめたとしたら、俺一人だけ暇になり、手持ち無沙汰になってしまうからだ。

 それよりも、俺としては、皆で一緒にこのゲームをやめて、皆で新たな、より面白いゲームを始めたいのだった。

 そう、俺は皆と、新たなゲームを楽しみたいのだった。

 そのために俺は、さっそく行動を開始した。

 古いゲームからの脱出法をプリントし、道行く人に配り始めたのである。猫耳の女にプリント作業などを手伝ってもらいながら。

 そのプリントに書かれている脱出法を使うと、生贄のパート、つまり誰かにコントロールされるパートと、神のパート、つまり誰かをコントロールするパート、その双方から素早く離脱できるようになる。

 俺たちの地道な活動の結果、あるいは聖杯の影響を早期に受けて自分の力を取り戻した他の者たちの活動の結果、もう古いゲームを捨てて、まった新しいゲームを始めようという世論が世の中に醸成されてきた。

 そしてある一定以上の人間が、新しいゲームを始めようと決意したとき、古いゲームは静かに幕を下ろし、新しいゲームがさわやかな新風とともに始まった。

 その新風は人々の愛すべき特徴を隠す帽子を、コートを優しく剥ぎ取っていった。そしてその奥からは、よく動く猫耳が、金色の尻尾が、そしてその他諸々の美しい本質が、陽の光のもとに現れ始めた。

 今、人々は、その本質が隠されることなく反響し合って生み出されるこの新しいゲームの只中にいる。

 その見た目は、古いゲームと、まだ何も変わっていないように見えるかもしれない。しかしルールの根本部分が、すでに完全に書き変わっているのだ。

 ゲームの新たなルール、それは『ルールを自分で創ることができる』というものであった。

 今、その新たなゲームの中で、人は生贄でもなく神でもない、それらを超えた存在となることを学びつつあった。

 さあ、古いものを手放して、一緒に新たなゲームを作っていこう。