前回の記事から続く

前回の記事で私は『宇宙の真理』がどうたらこうたらという話を書いた。

そうそう、二十歳ぐらいのとき、私はいろいろあって宇宙の真理をチラッと見たのだった。その一瞬チラッと見えたものがあまりにも魅力的で、どうしてもそれが忘れられなくなった。でもそれが何だったのかを思い出せなかったので、もう一度、それを見るための探求の旅を始めたのだった。

それでその後、何度も私はその『宇宙の真理』に接する機会を得た。

また、その言葉を超えた『宇宙の真理』を言葉によって描写しようとする、人類の数千年間にもおよぶ苦難と努力の歴史を知った。そして彼らが創りだした様々な、『宇宙の真理』を描写するための思考のフレームワークや用語を知った。

また、私自身その後、瞑想や様々なワークの具体的な実践を始めた。それによって最近では、調子がいい時などに、『宇宙の真理』と、低い接続率ではあるが自分の心を接続できるようになった。

というわけで、せっかくなのでここでひとつ、そもそも『宇宙の真理』とは何なのかを、ダイレクトに説明してみようと思う。

あくまで説明であり、以下で語られているすべては比喩的な表現であるということに留意して読んでいただきたい。

また私のパーソナリティによる限られた語彙と視野による『宇宙の真理』の描写は、必然的に多くの限定と歪みを伴い、それゆえに、それを読んだものに対して多くのミスディレクションを与えてしまう可能性があるということに注意して読んでいただきたい。

でも人間だもの、中途半端でもいいじゃない、ということで、ササッと宇宙の真理について、今、思いつくことを書いていくことにする。

宇宙の真理について(その1)

まず最初に、目に見えるものは実在ではないということだ。それらはエネルギーが一時的に目に見える形になっているものにすぎない。

あらゆる形あるものは、エネルギーが一時的にそのような形態をとっているだけに過ぎない。

また、物理的な形を持つものだけではなく、あらゆる意識の認識対象も、やはりエネルギーが一時的にそのような形態をとっているだけに過ぎない。ゆえに思考も感情も感覚も、エネルギーが一時的にそのような認識対象として形をとっているものに過ぎない。

つまり、私たちのパーソナリティを構成しているパーツのすべては、一時的にその形態をとっているエネルギーであるということだ。

肉体のすべて。記憶のすべて。思考と感情と感覚のすべて。これらはエネルギーが一時的に、意識に対してそう見える形をとっているものであり、その形は実在するものではない。

いや、それは確かに、この肉体と記憶と思考と感情と感覚の集合体を、自分自身として認識している意識のレベルにおいては、実在するものである。

しかし、それが実は一時的なエネルギーの形態であり、その本質は形の無いエネルギーであると認識することが可能な意識レベルにおいては、非実在的なものである。

このように、意識にはいくつかのレベルが存在し、そのレベルに応じて、何が実在するもので、何が実在しないものであるかという事に関する認識が変化する。

その意識レベルを、三次元的意識、四次元的意識、五次元的意識、などという風に区分けするとわかりやすいかもしれない。

我々は普段、三次元的意識で生きている。

その中においては、時間と空間、そして物質と肉体、それらすべては実在するものである。その意識レベルにおいてはエネルギー保存則が働き、エントロピーは常に増大するように見え、与えたものは減り、それゆえに、いかに外部から奪い、いかに少なく外部に与えるかが、存在を続けていくための重要な焦点となる。

しかし実はこの三次元空間や三次元的意識は、より大きな空間、より大きな意識の一部分である。

その、より大きな空間、より大きな意識へ、我々が自らの意識を接続した時、四次元的、あるいは五次元的、あるいはそれを超えた意識がその人にとって露わなものとなる。

たとえば、五次元的意識にとって、時間と空間によって構成される時空上の1シーンは、その意識の中に包含された、すべてを包む『今』の中のひとつのアドレスとなる。

ここで映画のフィルムを想像していただきたい。映画のフィルムの一コマ一コマは、三次元的意識におけるある一瞬を示している。三次元的意識においては、それらコマの一つ一つは、他のコマと切り離されている。なぜなら三次元的意識は、その各種のコマのどれかひとつに完全に一体化しており、そのため、一度に認識できるのはそのコマのどれか一つだけだけだからだ。

それが四次元意識になると、その一本のフィルムのすべてのコマを一度に認識できるようになる。いわば、机に横たえられたフィルムの全体を上から観察している視点、そんなものが四次元意識であるといえるかもしれない。その一本のフィルムの過去と未来のすべてのコマがが、四次元的意識の『今』の中に含まれている。

それがさらに五次元意識になると、その一本のフィルムだけではなく、他の、ありとあらゆるバージョンのフィルムの過去と未来、そのすべてが五次元的意識の『今』に含まれるようになる。

つまり過去現在未来、そしてあらゆる並行現実が、五次元意識の中では同時に認識されるようになるのだ。無数のフィルムの束が机の上に並べられているようなものだ。無数のフィルムの中の、一点のコマは、この五次元マトリックスの中のひとつのアドレスである。

そのアドレスに対して、五次元的意識は、さまざまな高次元的な操作を加える事ができる。

そのアドレスの前後のタイムラインを組み替えることで、過去から連綿と続く因果の流れを断ち切ったり、より良いものに変更したりできる。このような五次元的な時空操作こそがヒーリングであり、カルマの浄化である。

また、その特定のアドレスに対して、五次元的意識は、そのアドレスが存在するタイムラインにかつて存在しなかった種類のエネルギーを吹き込み、そのエネルギーを形態化することができる。これが創造であり、マニフェスティングである。五次元意識上では、そのようにして与えられたものは、どんどん増えていくことが認識できる。

そのような高次元的意識が存在する。そのような高次元意識は、我々の日常的な意識とは、まったく異なった視野を我々に与える。しかし高次元意識こそがどちらかと言えば、本質的な意識であり、我々の日常的な意識は、実は『Augmented Reality 拡張現実』ならぬ『Diminished Reality 縮小現実』を意識に見せるための縮小現実装置によって、小さく三次元に縮小された縮小現実なのである。そして、その縮小現実装置こそが、いわゆる『エゴ』と呼ばれているものである。

人が何かのはずみで一時的に、あるいはそのためのワークによって恒久的に、エゴを意識から外したとき、つまり、心を覆っている縮小現実装置を心から取り外したとき、そのとき人は、高次元的現実、昔の人が天国として認識した世界を体験する。

天国、高次元的世界、それは今ここに存在している。ただ縮小現実装置が心にかけられているために、それが見えなくなっているだけだ。

縮小現実装置を外し、今ここにある『それ』を実際に自分自身で体験した時、その時の意識状態の中にこそ、宇宙の真理が存在し、それが輝いている。

その輝きは、時間と空間を超え、肉体を超え、生と死を超えた、無限の輝きだ。

その輝きこそが自分自身だったと知った時、あなたは自分がすべてとひとつであり、自分こそがすべてなるものであり、私こそがそれであったことを知る。やったね!

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