世界で起こることはすべて、何らかの必然によって導かれている。

 通常、世界で起こることを制御している仕組みは、人間の目には見えないブラックボックスの中に入っている。

 通常、人間にアクセス可能なのは、三次元的世界の中にある、五感と思考と感情の対象物のみである。人間はそれのみを触り、動かすことができる。

 だが、そのような通常の意識による現実操作の試みは、物事の表面をなぞるのみであり、物事が生じる原因を作っているブラックボックスの中にまで届くことはない。

 もし人間がパソコンだとしたら、その出力装置、液晶ディスプレイには、様々な模様が表示されている。その模様こそが、世界であり、自分であると、その人は思っている。

 そしてそれは一面において真実である。ディスプレイに表示されている模様は、確かにその人の一部である。だがそれはその人と世界の全体ではなく、その人の表層、世界の一番外側の表面であり、それよりもより本質的なものによって出力されたものに過ぎない。

 では、ディスプレイに表示されている模様よりも本質的なものであり、それら多種多様な模様をジェネレートしているものは、何かというと、それはパソコンの中のプログラムである。

 目に見える模様ではなく、その模様を生成しているプログラムに意識を向けたとき、世界で起こるすべてのことを制御している必然、それを自分の手で触ることが可能になる。

 今まで存在すら知らなかったブラックボックスが、実は自分自身の内部に存在していたことを知ったとき、人は運命を超える力を持つ。

 人の心の力は山をも動かす力を持つ。

 ではその心の力は、具体的には、どのようにしたら発揮できるのだろうか。目の前に表示されている模様ではなく、その模様を生成している本質的なものへとアクセスするには、どうしたらいいのか?

 ひとつの方法として、ヴィジュアライズというものがある。

 自分が創造したい現実のイメージを、心の中で想像するのだ。

 心の中での想像は、物理的な肉体の目で見える映像よりも、より、物事を生み出している本質的な場所に近いところに存在している。

 想像は、人間の論理的な思考よりも、一段と深いところに存在しており、想像という活動によって、人は、現実を生み出している心の中の深い場所にアクセスし、そこに何らかの変化を起こすことが出来る。

 物凄く簡略化して言えば、心の中で強く、持続的にイメージしたものは、しばらくの時間を置いた後で、肉体の目に見えるものへと顕在化を始める。

 だから、自分の人生に、自分の望みの物事を増やしたければ、心の中で、沢山、持続的に、強く、自分が欲しいものについての想像を続ければいい。

 だが、人はよく、『自分が創造したくないもの、恐れているもの』のイメージを、心の中でヴィジュアライズしがちである。生まれたときから、そのように習慣づけられているのだ。

 人は生まれた時から、望ましくないもの、恐ろしいもの、不快なものに意識を集中し、それを増幅して現実化させるよう、意識をトレーニングされているのだ。

 恐れをイメージしたり、嫌なものを想像するとき、人はそのイメージが現実化する可能性を高めている。それは無意識的な創造行為であり、心の力の間違った使い方である。

 不快な物事に意識の焦点をあてるような癖は、もう手放す時が来ている。そうではなくて、欲しい現実、創造したい出来事、体験し、味わいたい感情を、強く、持続的に想像することだ。そうすればそれは、その人の現実となるだろう。

 今、目に見えている世界が、もしかしたら、あなたが創造したい物事の現実化の可能性を、完全に否定しているように感じるときもあるかもしれない。

 しかし、今、目に見えている世界は、過去に、同じように、人の心によって創造されたものであり、それは木霊、エコーのようなものである。

 今、この瞬間のあなたの心の力、創造の力を押しとどめるものは、この宇宙に、何も存在していない。

 人は望みの現実、望みの世界を意識的に創造すべきであり、その中で幸せに生きるべきである。

 そのための無限の力はあなたの中にある。

 それは自分の真の望みを黙考によって感じ取り、発見する力であり、それによって感じ取ったアイデアに信念と感情のエネルギーを注ぎ続ける力である。それは確率をねじ曲げ、現実を書き換える力であり、無から有を生み出す力である。

 今、その力が目覚め始めることを自分に許可することで、それは芽を出し成長を始める。