「この過剰な筋肥大……ジュリア、あんた昨日、筋肉の刈り取りをサボったわね! うちの防衛兵器は二世代前の奴だから、メンテンナンスをきちんと毎日しておかないとすぐにダメになるっていつも言ってるでしょ!」

 玄関前の松の木の下で、電気のこぎりを片手に持った姉にそう怒鳴られて、私は安堵の溜息をついた。よかった。やはり姉は抜け目なく私のサボりを発見してくれた。

「怒られてるってわかってるの? 何、安らかな顔をしてるの。今日はご飯抜きだよ、ジュリア。ほんとにあんたはいつも何を考えているんだか」

 他の家と同じように家の玄関前に二台設置されている防衛兵器(近接攻撃型)の人工筋肉を電気のこぎりで整形し、血しぶきを浴びる私の姉、ミシェールは、額の血しぶきを作業着の袖で拭いながら呆れ顔でそう言った。

 私はしゅんとした顔をして、しおらしく地面に落ちた筋肉の切れ端を火箸でバケツに拾い集めながらも、内心ではうまく行ったとほくそ笑んでいた。

 

 この前、学校の床下から発見された数千年前の古代の書物庫、その中に大量に眠っていた古文書には『ダイエットで魅力百倍。気になる彼を惹きつけよう』という文字情報が残されていた。

 私はクラスの歴史係の仕事をこなす傍ら、『ダイエット』という謎の概念を他の古文書を平行して調査することで、それはつまりカロリーの少ないものを食べる、あるいは絶食することであると知った。

 そこで私は、本当にそれ、つまりダイエットという古代の儀式によって魅力が百倍になるのかどうかをこの身を持って試す機会を伺っていたのだった。身体の肉が減ることによって、魅力が増すという不思議な観念の背景には、古代人が共有していたと思われる複雑怪奇な論理体系の存在が見え隠れしており、それが放つ隠微な魅力に、どうやら私は取り憑かれてしまったらしい。

 何が何でも、ダイエットをしたくてたまらないのだ。

 だが直接、『今日、ご飯いらない』などとミシェールに言っては、脳の器質的異常を疑われて病院送りになる。

 その検査の結果、もし脳には何も異常がないとわかったら、私の心の中に今や大きな存在感を持って根ざしている例の『ダイエットで魅力百倍』という、おそらくは何らかの歪みを内包している古代の想念形態それ自体を、私の思考回路から引きぬかれてしまうことになるのは目に見えている。

 そんなことになったら、百倍になった魅力で彼を惹きつけられないじゃないか。

 そんなの嫌だ。

 だから仕事をサボった罰という受動的な形式によっての、さりげないダイエット、それが、私がダイエットをすることができる唯一のチャンスなのだ。

 私はそのチャンスに賭け、そして成功したのだ。

 

 夜、私は二階の自室の窓辺に座り、空腹にギリギリときしむお腹を両腕で抱きしめながら、窓の外、長い街道を、敵の大群が規則ただしい列をなして、振動と轟音とともに行進してくるのを眺めていた。

 それは街の外れの向こうから、街灯の立ちならぶ街の中へと、いつものように殺到してきた。

 数千体の敵はいつもどおり様々な外見を持った群れにわかれており、そのどれもが、かつて何年も昔に見たことのある敵と似た姿形をしていたが、しかしどれも完全に同じ姿ではない。

 三世代前に、ムチのようにうねる管状の触手というパターンを持った敵が現れていたとして、その触手という形態は、次の世代では鎖状のメタリックなジャラジャラしたものに変化し、さらにその次の世代ではメタリックという特性が誇張され、全身がアルミニウムのサイコロのような敵の造形へと変化する。そして忘れた頃にまた触手という形態にループして、それは顕現する。しかしその触手は、数年前に現れた触手よりもアップデートされていて、ムチのようにうねる管状の触手は、その表面に無数の吸盤がプラスされたものとなって現れてくる。

 その敵の日々の進化には何か大きな目に見えない抽象的パターンが隠れているようであり、大人たち調査官は持てる全計算能力と知的推論能力と直感能力をすべて敵のパターン解析に向けているはずだったが、父と母がまだ私より小さかった昔よりも昔から、あらゆる戦況、状況は微妙なバランスの上に膠着し続けているということを、私は学校で社会の時間に学んだ。

 社会の時間に教師が私たちに教えてくれたことによれば。

 私達は日々努力し、全身全霊を持って、文字通り、日進月歩で街の防衛力を強化している。

 だが敵も私達と同じだけ進化する。

 まだギリギリ、敵は私達より、距離にして数メートル分だけ、進化が遅れている。

 その遅れを取り戻させるわけにはいかない。

 たとえ数メートルであっても、このアドバンテージを死守せねばならない。

 なぜなら、敵が、私達の街の、一番奥にある発電炉の防衛ゲートを突破したとき、何もかも爆発して全員が死ぬ。

 だから毎日、昼に、私達は全力で防衛兵器をメンテナンスし、アップグレードする。

 だが毎日、夜に敵はやってきて、防衛網の猛攻撃を受け、その大多数が道半ばで爆裂四散しながらも、敵の中でも特に巨体で、特に力を持った個体が、だいたいゲートのほんの数メートル手前まで、毎夜のように侵攻してくる。

 毎晩、敵があと数メートルで防衛ゲートを突破するというギリギリのところで、私たちの防衛兵器は敵の爆発四散に成功する。

 だが今晩は、成功しないかもしれない。

 数メートルがゼロメートルになる日、そして敵だけでなく、私たちまでもが爆発する日、それは今日かもしれない。

 私達は毎夜、この夜こそ、何もかも爆発し、全員が死ぬかもという覚悟と共に、その夜の守りを防衛機械に任せて眠りにつく。

 不安だ。

 でも、眠らねばならない。

 ここで眠らなければ明日の仕事に差し障る。

 防衛兵器の保守点検と、進化のための研究調査、新規開発およびアップデート、そしてその仕事に関連した物事の学習に使う体力を得るために、大人も子供も寝なければ。

 仕事はどれも重労働だ。メンテナンスは身体が疲れる。

 新しい、まだこの世に存在していない進化した兵器を創造するのには、気力と集中力が必要だ。

 だから寝なければならない。

 どれほど戦況が気になるとしても、明日も明後日も、この先も、存在を続けていくためには、もっとも大事に思えること、つまり『今晩の防衛が成功か失敗するか』を忘れ、リラックスして眠る能力が必要であり、究極なる結果への無執着が必要であり、それこそがこの街のすべての住人が養うべき特性であると、幼稚園で、小学校で、中学校で、学んできた。そして今も実践の中で学び続けている。

 今、深夜十二時は、たとえ子供であっても寝るべき時間である。だが……。

「ひもじいものだな、ダイエットというものは」

 お腹が空いて眠れない。

 私は窓辺に腰掛け、敵の進行を朝方になるまで見守っていた。

 こんなにも長い時間、しげしげと敵の進行を観察するのは、小学校の夜間特別講習で、クラスの皆と学校の屋上で夜を明かし、グラウンドの前の道路を横切ってゲートに向かって進行していく敵の行列を観察した、あの楽しかった夜以来だ。

 しかしあの夜の、木造校舎の屋上で、皆で毛布にくるまり、熱いスープを飲みながら、敵の隊列の色とりどりの、人知を超えているような、いや、そんなに超えてるわけでもないような、とにかく雑多にいたずらにたくさんの種類がある敵達の造形、それを子供特有の初々しい視線で眺め、咆哮をあげて学校前の道を雪崩のようにゲートの方向へと突進していく軍団の隊列に、誰もが最初は怯えていたけど、最後の方には女子男子、それぞれのグループで集まって、恋の話などするぐらいには余裕の出てきたあの観察会とは訳が違い、今夜は何も、楽しいことなど何も無かった。

 どうしてだろう。

 今日こそはゲートを突破されて、何もかも粉微塵に爆発するかもしれない。

 そんな恐怖が、楽しいことが無い原因の、一割ぐらいか。

 お腹が空いているという珍しい感覚、これがもたらす生まれて初めての苦痛。

 飢餓感。これが二割。

 残り七割は、そもそもなぜダイエットしようと思ったか、なぜダイエットをして魅力的になろうとしているのか、その原因、その動機に関することだが、私はそれについては、何もなにひとつ考えたくなかった。

 それは、クラスの男子への恋だった。

 私は自分でも理知的な性格をしていると、自分のことを評価していたが、恋をし、しかもその欲望を満たすために、直接何かしらのアクションをするのではなく、古代の文献から見つかった謎のおどろおどろしい呪術的な行為、ダイエットという儀式という迂回的手段に頼ろうとする、自分の今まで知らなかった闇の一面には驚きと軽蔑を感じ得なかった。

 恋という、他人の意識を我がものにしたいという欲望に突き動かされ、古代の呪術に頼る自分の行動が、『人は誰しも二面性を抱えている』という、先日、学校の体育館で受けた市民基礎心理アーキテクト初等講義のメインテーマ、その正しさを何より明らかに証明していた。

「…………」

 爆音と敵の絶叫で家が振動する。

 生物的なうめき声と、鋼鉄がきしむような機械音を発しながら街になだれ込み、防衛機械に道の左右からレーザー光線や肉弾戦をしかけられ、ひき肉のようにバラバラに四散し、塵と化していく敵の一列縦隊を、家の二階の窓辺から見下ろしながら、私は理知的なクールな声色でひとりごとをつぶやいた。

「まったく、私だって町民だからか、町民の基本心理構造からは、どうしても逃れられぬ仕組みなのかな」

 しかしそのような、いつもの私らしい分析的なつぶやきを発してみても、それと同時に今自分が、恋という、不思議な心のパターンに溺れた末に、古代の呪術、ダイエットの儀式を実行しているという一種の狂気に飲まれている事実は揺るがない。その事実によって、私は私の二面性のうちの非理知的な側面を知るのである。

 それが存在しているなら、それも仕方あるまい。

『表と裏、その裏面は、その存在を避けること無く、その属性が確かに自分のものであるとして受け入れることによって、少しずつ、表の自分と統合されてゆくでしょう。それまでは裏は表を、表は裏を、理解することはないでしょう』

 あの心理アーキテクト講義の教師は体育館でそう電子教科書を読み上げた。その内容が今になり頭をよぎる。

 だったら今、私がこの窓辺でこうして自分の裏側と向き合っているこの今、この街の街道、その両脇に建つ全部で一万六千戸の敵迎撃兵器を兼ねた家々の屋根の下に住んでいる姉と兄と妹と弟、そのうちの半分は、私の今の気持ちなど想像できない。

 だがまたその半分は、今の私と同じように、自分の影を抱えて、八千の窓の奥に腰掛け、こうして夜の中、自分の裏側と向き合っている。

『どんなものにも二面性があります』と心理アーキテクト講義の教師の教科書を読み上げる声の記憶。

 そして窓の外からの敵の絶叫と人工筋肉の断裂音。

 記憶のイメージと、窓を震わせる音に包まれながら考える。

 では理知の裏には、欲望があるのか。

 いつの夜か、あるいは今夜か、ついにゲートを突破されたとき、その死の裏には、生があるのか。

 だとしたら敵の裏には味方がいるのか。

 そしてこの街、この世界、そのすべての裏側には、いったい何があるというのか。

 この私の哲学的、理知的な意識は、それらすべての裏を知り尽くし、それらすべてを統合することを望み、一方で、私の野獣のような部分は、あの可愛らしい彼のことを求め、この乾きを満たせるものならなんでもしたいよという欲望のシグナルを、夜が明けるまで、この窓辺から、ずっと静かに発し続けていた。