この文章は、『ライトノベル〜光の小説〜1の2』の解説です。

 

学校には行かなければならない。行かないと、これこれの事になる。

ズルはダメだ。ズルをすると、かくかくしかじかの事になる。

XはYだ。Yをすると、Zになる。

世の中にはこのような言葉が溢れかえっている。

それを分析すれば、だいたい以下の様な内容に抽象化できる。

「特定の物事は良い」「特定の物事は悪い」「良いことを増やし、悪いことを減らすべきだ」

しかし当然のことながら、これらの言葉はただの言葉である。

言葉とは何か?

それはエネルギーのパッケージである。特定の意図や感情や論理が込められたシンボルの組み合わせである。それは人の意識をコントロールする力を持つ。

力が強い言葉もあれば、力が弱い言葉もある。

どれだけ力のある言葉、真実と思われている言葉であっても、それはただのエネルギーのパッケージであり、現実そのものではない。

今、人類に求められているのは、言葉を操り、言葉によって組み立てられた論理体系の中から、正しいことと、悪いことを見極めること、ではない。

言葉とそれによって構築されているあらゆる論理体系は、ただのエネルギーの構築物である。それは確かにエネルギーを持つ。人は言葉の持つエネルギーによって人を操り、人に操られている。

人類は自らが作り出しているそのエネルギーの構造物によって、朝から晩まで操られている。

今、人類に求められているのは、どの言葉が正統で、どの言葉が間違っているかを識別すること、ではない。今、人類がすべきことは、どの操り、どのコントロールが正統なもので、どのコントロールが間違っているかを識別すること、ではない。

今、人類に求められているのは、あらゆる論理体系の外に出る能力を獲得すること、つまり、あらゆるコントロールの上に出る能力を獲得すること、そして、その能力によって、より自由度の多い、透明な論理体系を構築することである。

これは非論理的なものに退行するということではない。論理性を含んで超えた、めっちゃ凄い超論理的な意識の地平を認識し、その領域で日常的に活動できるまでに意識を拡張すべきであるということである。

そして、そのような、高く拡張された意識によって構築された、クリスタルのように透明な論理体系の中では、AもBも、XもYも、そのどちらもが、その中に光を見出されるであろう。そして見出された光は、Aの中でも、Bの中でも増幅し、輝いていくであろう。

あらゆる考えは、ただの考えである。

それはどれも仮初めの、一時的なものである。

考えは、窮屈な考えと、自由な考え、その二種類に、とりあえず分けることが出来る。

窮屈な考えは、その考えを身につけている人を、善か悪かというような、これが良くて、これが悪いというような、二択に導いていく。しかし人は常に、善も悪も、AもBも、その双方を含んでいる存在である。

なぜなら人の心の大きさとは常に無限であるから。AかBか、そのどちらかだけを受入て、そのどちらかを捨てるなんてことは、人の心にはできないのだから。存在の一部だけを愛し、一部を憎む、そんなことは人にはできないのだから。なぜなら愛とは無条件なものなのだから。

しかしそれでもなお、AかBか、そのどちらかだけしか受け入れてはならないとする時、大きなひずみが人の心の中に生じる。

受け入れられず、拒絶された方は、抑圧され、外部に投影される。あるいは、内部にきつく折りたたまれて抱え込まれ、内部に障害を生じさせる原因となる。そして無限であるはずの人の心は、分割され、どんどん小さく縮こまっていく。

だから、いろいろな窮屈な考えを、脳にインストールして、それを真面目に信じこんでしまった大人たちは、あるいは若者たちは、心が窮屈だ。

その窮屈さを、自由な考えが、解放する。

自由な考えとは、愛に溢れた考えである。

それを受け入れた時、AもBも、その双方が存在を認められ、愛される。そして、AかBかを選ぶことを突きつけていた窮屈な考え、それ自体も、自由な考えが発する愛を浴びることによって、だんだん、ふわっとなっていって、リラックスしていって、柔らかくなり、優しくなっていく。

そのような自由な考え、自由なアイデア、優しい思考、そういったものが、本でも、歌でも、テレビでも、日に日に増えていることに、あなたは気づいているだろうか?

二千年前の人類の考えに比べ、千年前、百年前、十年前の考えに比べ、人類の考えの平均値が、どれだけ自由になり、愛に溢れつつあるか、あなたは気づいているだろうか?

身の回りに増えつつある、優しい考え、自由な考えの存在を認め、それに意識の焦点を向けることで、それはあなたの周りに加速的に増えていく。そしてあなたの人生を、より自由な方、優しい方へと、変えていく。

とりあえず本稿では、以下の、一行の、自由な考えを紹介して終わる。

『自分のすべては無条件に愛され、肯定されている』

この文章をさらっと気持ちよく唱えることができたら、あなたはいい感じである。

この文章を唱えるのが苦しい時、何か抵抗があるとき、あなたの心の中には、この文章を否定する様々な自由度の低い考えがインストールされている可能性がある。

しかしその場合も、何に問題もない。何もかも百パーセント無条件に愛され、肯定されているというのが、この宇宙の実情なのだから。もし愛されることを拒絶する部分があったとしても、そのような部分の存在までもが完全に認められているのがこの宇宙なのだから。