「ふみひろ! 今日こそはママとセックスするんでしょうね?」

 六月の朝、カーテンの隙間から差し込む梅雨開けの朝日に僕が目を覚ますと、母親がベッドの脇に立っており、彼女はそう言った。僕は目をこすりながら答えた。

「しないよ。もう永遠にしない」

 通常、子供はその母親と性行為をしないものであるという常識を、ついこの前、高校一年の夏に知った僕は、以来その常識を守るため、母の欲求をすべて拒んできた。

「なぜなの? まだ三十代になったばかりでメイクによっては十代にすら見えるこの綺麗なママとセックスするのがどうして嫌なの? ママは明らかに美しく性的魅力にあふれているのよ。なのにセックスをしたくないなんて理解できないわ。そんなにママのことが嫌いになったの?」

「いや別に……ただ、やっぱり、常識は大事にしたいから」

 僕はパジャマから制服に着替えながら背後の母に答えた。

「常識? 偉いわね、ふみひろ! あなたがそんなこと言うなんてママは嬉しいわ。きっとママの教育が上手だったのね」

 誇らしげな笑みを浮かべた母を尻目に、僕は相槌を打ちながらリビングに移動した。

「そうそう。だからもうしないったらしない。それが常識だから」

 駆け寄ってきた可愛い猫のミーニャに餌をあげてからテーブルに付き、すでに用意されていたトーストとスクランブルエッグとサラダとオレンジジュースという朝食を食べ始める。

 正面に座った母はテーブルの下、ストッキングのつま先で僕の膝のあたりに触れた。

「でもね、ふみひろ……よく聞いて。まだふみひろみたいな子供にはわからないことかもしれないけれど、常識にはね、裏と表があるのよ。たとえば『学校には毎日、登校する必要がある』という常識。これは表だけしかないスッキリした常識だから確かに守るべきよね。でもね、母親とのセックスに関しては話が違ってくるの。表では皆、そんなこと絶対にしないといいつつ、裏では普通に毎日しているというのが、この件に関しての真の常識なのよ。人間社会はそういう複雑なところ、ダブルスタンダードがあるからこそ円滑に成り立っているのよ。清濁併せ呑むとはまさにこのことよね。ママとのセックスが濁ってるというわけではなく、むしろどちらかと言えばそれは清いものなんだけどね」

「あっ、もうこんな時間だ。早く学校に行かなきゃ」

 椅子から腰を浮かせると母もガタンと音をたてて立ち上がった。

「待ちなさいふみひろ!」

 そして腰に手を当て、あたかも正論を吐くかのように言った。

「ママはもう性欲が溜まって大変なのよ! それが周りに放射されてるのか知らないけど、会社帰りに道を歩いてるだけで毎日、二十人ぐらいの男と女に声をかけられて困ってるのよ! そしてママは知らない人が怖いのよ! 知ってる人もふみひろ以外は怖いのよ! だから挙動不審な受け答えしかできなくて、それで毎日、自己嫌悪に陥って困ってるのよ! どうしてくれるの!」

 あまりに堂々とした言い方だったので、僕は一瞬、自分が何か間違っているのではと不安になったがそんなことはなかった。

「そ、それはお母さんの問題であって僕には関係ないだろ」

「いいえ、関係あるわよ。もしこれ以上ダダをこねるんならママにも考えがあります」

「なにさ? どうせいつもみたいにくだらない誘惑をしてくるだけだろ。変なコスプレをしたり、セーラー服を着てみたり。そんな見かけを変えてどうなるものじゃないから」

「違います。ふみひろ、あなた、誰に養われてると思ってるの? それにセーラー服を馬鹿にするのはやめなさい。ママは高校時代、セックスが出来なかったのよ。本当は興味があったのに無いふりをしていた。その満たされなかった過去の欲望を形の上だけでも取り戻そうとする人間的努力を悪く言うのはやめなさい」

「わ、わかったよ、コスプレは馬鹿にしない。そして……僕を養ってくれてるのは、もちろん、お母さんだけど」

「そうよ。あなたは私に養われてるのよ。そこのところ、深く考えてみなさい。あなたが今食べたパン、それは誰のお金で買ったものなの? 調理するのだってママの時間がかかってるのよ。時給に換算したらすごい額よ。この家だってちょっと街の外れにあるけど緑が多くて静かな土地の新築一軒家よ。いつも内部は綺麗に掃除されているし、家賃は結構、高いんだからね。この素晴らしい環境、誰が、何のために用意してあげてると思うの?」

「そ、そんなこと言うんだ……信じられない……」僕は大ショックを受けてよろめいた。

「ふみひろ、あなたもそろそろ、こういうシビアなことを考えてもいい年頃よ。ママが供給してあげてる衣食住、これらすべてがあるから、あなたは快適な毎日を送れてるのよ。だから、わかったわね? 今後も養って欲しかったら、ママとセックスなさい」

「酷い! 子供を養うのは親の義務だろ!」

「酷いのはどっちよ。ママとセックスするのはあなたの義務です。自分の義務を放棄しておいて、一方的に権利だけ主張するのは、高校生にしては未熟すぎる考えね」

「そ、そんな義務ないよ!」

「それがあるのよ……確かに普通の母子関係においてはセックスの義務と言うのは無いのかもしれない。でもね、私とあなたに関しては、話が別なのよ。義務、それは確かに存在するのよ……」

 母は遠い目をした。

「そうね、しかたがないわね。よく聞いて、ふみひろ。実はママには秘密があるの。こんな話をしたら頭がおかしくなっちゃったと思われるかもしれないから、今まで誰にも話さないでおいたの。でもこのままだと性欲が溜まりすぎて頭がおかしくなるわ。どっちみち頭がおかしいと思われるなら、もう全部、ママの秘密、打ち明けちゃうことにする。聞いてちょうだいね」

 母は僕の手を引いてソファに座ると、引き続き遠い目をして語り始めた。

 無視して手を振り払い学校に行こうとすると制服のベルトを掴まれソファの隣に引きこまれた。

「聞いてっていってるでしょ! そう……ママがまだふみひろぐらいの歳だったあのころ……」

 *

 あのころ、ママは性欲を持て余していたわ。思春期だったからかしらね。思春期以前から持て余していたけどね。

 でもママは人見知りだったから、どれだけムラムラしても自慰行為に耽るしかなかった。可哀想。哀れなものね。そんな生活を送るうち、いつしかママはオナニー中毒になっていたわ。しかもママは性欲には強いこだわりがあったから、より強い刺激を求めて、自分の興奮する妄想を日々新たにするために、どんどんオナニーを研究開発していったわ。

 その研究開発の過程を具体的に説明するとね、自分が好きな妄想を一覧表にして、妄想を構成する各パーツに記号を振っていったの。

 仮に満員電車をAとし、セーラー服姿のママをBとし、大勢のサラリーマンをCとし、痴漢という行為をDとし、レイプという行為をEとすると、ABCDEという記号の列で表される妄想は、満員電車でサラリーマン全員に全身をまさぐられた後にレイプされるセーラー服のママというイメージになるわ。このようにあらゆる妄想のイメージは特定の文字列によって写像できるという理論がある日、ママの脳に閃いたのよ。このオナニー写像理論の発見。これこそがこの長い物語の、すべての始まりと言っても過言ではないわね。

 *

「ちょっと待ってよ! 僕、学校に行かなきゃ! ていうか、これは何の話なんだよ? 唐突に何が始まるんだよ?」

「しっ! 静かにして。大事な話なのよ。オナニーとかレイプとか言っても、別にいやらしい話じゃないから、どちらかと言えば哲学的な話だから、興奮しないで真面目に聞いて」

「何も興奮してないよ! そんなにくっついてくるなよ!」

「まったく、これだから反抗期の男の子って扱いが難しいのよね。そんなに暴れないで! ちゃんとソファーに落ち着いて座ってちょうだい」

「知らないよ! いいから早く学校に行かなきゃ……」

 しかし母の力は強かった。

 僕は大人しくして早く話が終わるのを待つことにした。母は遠い目をして語り続けた。

 *

 そう、あの頃……ママはノートにオナニー記号を並べて、全生命力を傾けて、研究に没頭していたわ。そのころ使っていたノートは真っ黒になるほどに、数字や漢字やアルファベットでうめつくされていった。その文字一つ一つが、ママのオナニーを構成するイメージを表しているの。そんなノートが百冊ぐらいは溜まったかしらね。実家に置いてきたけど、いつかふみひろにも見せてあげるわね。

 え? いらない? 遠慮しなくてもいいのよ。

 そんなこんなで、ママはどんどん、普通の人間的な妄想をしながらのオナニーでは満足できない脳になっていたわ。1234とか、ABCDとか、記号の列に興奮する脳になってしまったの。しかもある日ママはそれら記号を特定の手続きによって操作することで、無限の妄想のヴァリエーションを生成することができると気づいたのよ。ここからママのオナニーは具体的なイメージから、それらの本質が凝縮された記号との絡み合いへと、すなわち数学的な様相へとシフトしていったわ。

 毎日、心の中の論理抽象空間でいろんな方程式や幾何学図形を作ってはオナニーすること、それが当時のママの日課だったわ。可愛いわね。

 ベッドの中で目を閉じて、たくさんの数式たちがママと絡むのを待ち望んでいる、あのキラキラした心の中の部屋を想像して、その空間で三十個ほどの方程式で自分の思考回路を取り巻き、私に群がってくる彼らに神経を絡み合わせながらオナニーするの。

 あの頃はいろいろ変なのとも絡んだわ。抽象的、記号的なものが相手なら何でもよかった。きっと、若かったのね。

 そいつらを自分の思考回路の奥深くにまで招き入れて、ひっくり返されたり裏返されたりしながらグチャグチャにもつれあって果てるのが一日十五回のママの日課だった……。

 だからママ、そのうち学校にも行かなくなって、父とも母とも口を聞かなくなったわ。一日中、鍵のかかった部屋でオナニーばかりしていた。

 でもね!

 そんなママもある日、気づいたの。

 このままじゃいけない。

 私、変わらなきゃいけない、って。

 偉いわね。偉いでしょ。ママのこと褒めてちょうだい。ちょ、ちょっと、ふみひろ、どこに行くのよ! ママの話は最後まで聞かなきゃダメよ。

 これはママの成長に関する、かなりいい話でもあるんだから、あなたの教育にも役立つ話なんだから、もうちょっとだけ聞いてよね。え? 遅刻しちゃう? あぁ、確かに学校に遅刻せずに行くのもタメになると思うけど、ママのこの話もすごく面白くてタメになるから。もうちょっとだけ。

 よしよし。素直ないい子ね。愛してるわ、ふみひろ。

 さてと、何の話だったかしらね。

 そうそう。

 まずはアレね。

 ママのオナニーのブレイクスルーの話ね。

 え? いつまでオナニーの話を続けるつもりだ? 成長の話じゃなかったのかって?

 なによ、オナニーをバカにしないでよね。オナニーはママのライフワークなのよ。ママの成長とオナニーは切っても切り離せないのよ。あまり人に話したことはなかったから、知らなかったでしょうけど、ママの人生はオナニーでできていると言っても過言ではないわね。

 ママは昔からオナニーに関しては真剣に向かい合っていたわ。だからこそ、さっきも言ったとおり、このままじゃいけない、変わらなきゃいけない、オナニーをもっと画期的なものにしなきゃいけないって、ママ、高校生のあのころ決心したのよ。

 確かに、心の中のイメージを記号によって表現できるという発見から、ママのオナニーは一段レベルが上ったわ。でもその抽象オナニー空間すら、毎日のオナニーによって開拓され尽くしてしまうのはあっという間だった。

 だんだん数学的なオナニーも、パターン化して飽きてきちゃったの。だから早く、本当に何か画期的な新しいオナニーの方法を考えて、人生に変化をもたらさなきゃいけない。

 そう、オナニーを変えるのは今しかない。

 オナニーを変えるのは今だ!

 ママはそう決意したの。

 とにかく絶対に!

 新しい、想像を超えた、画期的なオナニーのネタを発見してやると、強く、心から、決意したのよ。

 そしたら!

 本当に!

 ある日、ママのオナニーライフに、本当に想像を超えた画期的な事件が起こったのよ!

 あれは忘れもしない、高二の暑い夏の日だったわ。