「このままじゃやっていけねーんだよ!」

 俺は居間の中央に置かれているちゃぶ台を拳で叩いた。大学ノートと赤ペンが跳ね上がった。

 父親からの反応は無かった。絨毯に横になってテレビを見ていた。くだらないお笑い番組だ。そんなものを観て笑っている。空虚だ。

 俺は怒りを押し殺して再び赤ペンを握り、手元の大学ノートを見た。何度見ても、みちのく商店街に一件だけある和菓子のお店『トランシルバニア共和国』の売り上げデータは、店の経営がこのままでは半年も持たずに破綻することを示していた。

 何か手を打つべきだったが、父親はテレビのお笑い番組が終わると、和菓子に関するWikipedia的な雑学を、何か深い意味のあることのように語りながら自室に消えていった。つまり、何もこの件に関して考えるつもりはないし、何かを変えようとする能力もないのだ、父には。そう判断した俺は、俺がなんとかするしかないのだと悟った。

 しかしそれは本当だろうか?

 もっと父と腹を割って語り合えば、彼との間にわだかまる、何十年もかけてコールタールのように固着した感情的な対立がほどけ、それによって魔法のように、店の経営がうまく行き始めるという、よく出来たドラマ的な流れもあるのではないか。

 むろん、それはあるだろう。

 俺が今までに実生活とマンガや映画の中で学んだことによれば、あらゆる問題は常にだいたい一つの原因から生じている。

 その一つの原因とは、思考と感情のもつれである。

 そしてそれを、いわゆる愛や、感情のわだかまりを許すことによって解く。そうすれば、なんでもあらゆる問題は解決する。少なくともハリウッド映画の中ではそうなっている。

 だが俺はそれをするつもりはなかった。

 なぜなら思考と感情のもつれをほどくとは、自分の心の中を見つめるということであり、特にこの件に関しては、父との間にある俺の心の中のわだかまりを直視した上で、とにかくいろいろと許しがたいところのある父を、とにかく問答無用で許すということであろうからだ。

 そんなことやるつもりはないし、考えたくもない。

 仮にそれで悪の皇帝の支配から宇宙が解放されることになるのだとしても、父を許すつもりはない。

 だから俺は古くからの手段、だいたいうまく行かず、よけいに袋小路にはまる手段であるところの、思考と気合いと根性と意志の力を用いて、この問題を物理的なレベルで解決しようとした。

 とにかくなんであれ、売り上げが増えれば店は持ち直すのだから、とにかく売り上げさえとにかく増やせばいいのだ。

 俺は画期的な新商品の研究開発に全力を注ぎ始めた。

 昼間は父とルーチンワークをこなし、夜、自室でノートに新しい商品についてのアイデアを書き込んでいく。

 そもそも和菓子とは何だろうか。

 和菓子、それはだいたいいつも同じ味の食べ物である。

 俺はいつも思っていた。

 洋菓子の方がうまいと。

 いや、確かに抹茶と一緒に食べたときは和菓子の方がうまいが、それにしても味のバリエーションの多彩さは洋菓子に比べて明確に劣っていると。もちろん甘さという単一の味の中に無限のグラデーションや微細な風味の違いがあり、それは俺も認識しているが、そのようなミニマルな領域での差異や質を追求することは袋小路に繋がっている。

 現にうちの和菓子は材料と製法に関しては世界レベルのクオリティを誇っており、我がトランシルバニア共和国で用いている『こなし』、つまり白こし餡の繊細な甘さの上質さについては俺も深い自信とプライドを持っている。だが、それでも売り上げは下がるばかりなのだ。もう味の面に関して改善の余地がないのだ。

 だからもう、見た目を変えていくしかない。

 こなしを様々な形に加工した上で色を付け、この世に存在する何かの物に似せればそれは和菓子だと言える。今まではめでたいもの、可愛い物に似せて和菓子は作られてきた。そして我がトランシルバニア共和国でも、可愛らしい、いかにも和菓子的な造形の和菓子はもう腐るほど作ってきたため、俺の目は可愛い物に対してゲシュタルト崩壊を起こしており、俺の目に映る可愛い和菓子は、俺にとってもう、それが何を意味しているのか理解できないものになっている。これはもしかしたら、消費者にとっても同じことが言えるのではないだろうか?

 我々、和菓子職人が寝る間を惜しみ、丹精込めて作った可愛い和菓子を見ても、消費者の皆様は、似たようなものを見すぎていて、それがもう何を意味しているのか理解できないのではないか? どれだけ技術の粋を尽くして作った精密な造形の、めでたい、可愛い和菓子を見ても、もはや消費者の皆様は、そこから何かしらの意味を汲み取ることができないほどに、似たようなものを見すぎてしまっているのではないか?

 だとしたら……ここで発想を逆転してみてはどうだろうか?

 俺はノートに『逆転、つまりひっくり返すこと』と書き込んだ。

 めでたいもの、それを逆転すれば、不吉なものになる。

 可愛い物、それを逆転すれば、醜いものになる。

 俺は袖をまくって自室を出ると、試作品の制作に取りかかった。

 *

 半年が過ぎ、一年が過ぎ、五年が過ぎた。

 俺が作った和菓子の新しい世界は、最初の三年は既存の顧客がすべて消滅するという痛々しい結果に終わったが、その後、次第に新し物好きの心をとらえ始めていった。銀行の担当がプログレッシヴ和菓子の最初のファンになってくれたおかげで、資金繰りもギリギリなんとかなった。

 まず最初に大きく売れ始めたのが、世界でもっとも人を殺している銃火器AK47を象った和菓子、『世界のアサルトライフルシリーズその3』だった。本来は箱に十二個の和菓子が入っており、贈答用に用いられるべきセットとして想定されていたのだが、なぜかAK-47単品での売り上げがダントツによかった。しかしその後、お歳暮の箱を開けたらそこに黒光りするリアルな十二個のアサルトライフルが横たわっているという図も、次第に世間に浸透していった。俺は新たな商品の研究開発に日々、エネルギーをつぎ込んでいた。そうこうするうちに不思議なことに父と俺との間にある感情的なわだかまりもいつの間にか解決していた。

 なぜだろうか?

 諸々がうまく行った理由はよくわからない。

 きっと、そういう時代なのであろう。

 これまでは、何かをすると、いろんなこんがらがりが生じ、物事は時間の流れとともに紛糾していくというのが、いわば流行だった。物事を根本的に解決するには、自分の心の中を深くまで覗きこんだりという、根本レベルに働きかける必要があった。

 しかしその流れはどうやら一時的なものだったらしい。何のきっかけか、誰かの選択によってか、物事をうまく流れさせるのは難しいという時代は終わりを告げ、物事は時間の流れとともに勝手にいい感じに変化していく、そういう方向性がデファクトスタンダードになったのだ。俺は経営者としての肌感覚で世相をそのように感知していた。でなければ売れるわけがないだろう、こんなもの、と横目で作業台の上の、手のひらサイズの甘いAK-47を眺める。そしてそれを『伝統&革新のハーモニー・セット』の箱に詰めていく。可愛らしい鳩をかたどった和菓子の隣にAK-47が並ぶ。鳩が放射するほんわかとした春の木漏れ日のような雰囲気がAK-47に染みこみ、それをふわっと丸くしていくようである。一方でAK-47が放射する男性的で直線的なエネルギーは、鳩を貫き、それをヨブ記に登場する怪獣にしてダンジョン&ドラゴンズにおける神の龍、あの偉大なるバハムートへと進化させていくかのようである。

 まさにグッド・コラボレーションがここに確立されつつあった。

 父は昔からある和菓子のモチーフ担当、俺はプログレッシヴ和菓子担当と言うことで、何かしら勝手にバランスが取れ始め、それによって感情的にも、思想的にも、彼と俺との間には均衡と調和が生じ始めていた。こうして、この世に生きる人間にありがちな葛藤、父と子の間の難しいアレコレは、非接触的、非破壊的に解消されたのであった。

 *

 そんなある日のこと。

「おい、おれもプログレッシヴ和菓子を作ってみたぞ」と、作業台の父が、後ろで働く俺に向かって言った。

 見ると、おどけて笑う父の手には、名状しがたい奇怪な、明らかに邪悪なおぞましい生物のオブジェが乗っており、それは決しておどけではすまされない、それを作った者の心の中に溜まりにたまった無意識的な闇と汚濁を如実に表していた。

 俺は「これだからこの世代はやばいよな」と苦笑いしつつも、「なかなかやるじゃん、父さん」と彼の背中を軽く叩き、この闇の和菓子との調和を取るための光の和菓子を、おそらく星のようにきらめく和菓子を心の中で創り始めた。