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 私はヤンデレだ。ヤンデレとは何かというと、好きになった人を殺さずにはいられない性癖を持った人のことだ。なぜ私がそんなおぞましい存在になってしまったかというと、幼い頃、夏に祖母の家に遊びに行ったある日のこと、古代の邪神に呪われてしまったためだ。

 中原郡蛇ヶ穴町古門にある縄文時代前期とも、いやもっと古くて年代不詳とも言われる、ストーンヘンジ様の古代遺跡、その真ん中にレジャーシートを敷き、そこが聖なる、というより邪悪なる場所だとも知らず、当時、小学校高学年だった私は町の駄菓子屋から買ってきたお菓子を食べ散らかしながら、父の古いスマートフォンでゲームをやっていた。

 そんな、ひとりアウトドアでインドア系の遊びをするなんてことを、どこで覚えたのかは定かではない。しかし小学校高学年だった私は、よせばいいのに、あの邪悪なる地でお菓子を食べ散らかし、なおかつ夕方になって家に帰るとき、ポテトチップスの袋を回収するのを忘れて、あの遺跡の真ん中に放置してきたらしいのである。

 ちなみに『らしいのである』と伝聞形になっているのは、あとになって人というか邪神にそう聞かされたためだ。その夏の日の夜、祖母の家の二階の子供部屋で蚊取り線香の匂いに包まれて眠っている私の枕元に、邪神がやってきてそう告げた。

「おい、小娘、起きろよ」

 うっすらと目を開けると、私の枕元にぼんやりした黒い影が立っていた。

「うわっ、びっくりした、え、なに、泥棒? おばあちゃーん!」

「バカめ、お前の祖母は今ごろ下でぐっすり寝ておるわ。そもそもお前も今、目覚めてオレと喋っているように見えて、実はこれ、お前の夢の中での会話なのだ。だからどれだけお前が叫ぼうとも助けはこない。無駄だ、諦めるがいい」

「え? これ、夢なの?」

「そうだ」

「じゃあ安心だ。夢なら何も害がないから、あなた、別に何してもいいよ。お父さんが私においていってくれたスマートフォン、盗んでもいいよ」

「バカな小娘め。夢だからと言って、オレがお前に実害を与えられないなどと、どうして言えるのか。これでもオレはあのころは凄い神として人間にあがめられていた存在だ。その力を侮るなどと愚かな小娘め」

 邪神と名乗ったそのボンヤリした黒い影は、私を脅かそうとしてか、少し巨大化した。私は夢の中でも意識があり、起きているときと同じようにハキハキと会話できるという、かつてない画期的な夢に興奮していた。私はそろそろと布団から這い出てみた。そして部屋の中を歩きまわってみた。

「凄い! 夢なのに好きなように歩ける! ねえ、窓から外に出て、空を飛んだりできるかな?」

「バカな小娘め、夢だからその気になれば飛べるに決まっているだろう。そんなこともわからんのか」

 私は窓を開け、星空に向かって飛び出そうとした。

 重力に引かれて落下した。

 松の木が生えているおばあちゃん家の庭に、頭から落ちた。

 けどあまり痛くない。夢だから痛くない。

 でも夢なのにうまく飛べない。どうして?

「愚かな。飛ぶイメージを持てないものに空を飛べるわけがないだろう」

 私を追って窓から飛び出した邪神は、見せつけるように上手にふわっと空を飛んだ後、私の傍らに着地した。

「飛ぶイメージを想像できれば飛べるの?」庭の湿った土の上に両手とおしりをついている私は、邪神を見上げて聞いた。

「当たり前だ。お前の夢なのだからな」

 私は立ち上がり、おしりから土を払うと、鳥のように飛ぶ自分の姿を想像しようとした。

 うまく想像できなかった。

 ふわっととにかく浮かび上がる想像をしようとした。

 でも重さのあるものが浮かび上がるのは変な感じがして、なかなかうまく想像できなかった。

 そんな私の周りを、私に力を見せつけるようにビュンビュン飛び回る邪神と名乗った黒い影。

 うらやましくなった私は飛び上がって、邪神の体の端の方の、手か足か何かをつかんだ。すると邪神は私をぶら下げながら信じられない勢いで空高く飛び上がった。下を見ると、月に照らされた庭の松の木が、おばあちゃん家の屋根が、裏の畑が、どんどん小さくなっていく。まるでスマートフォンの地図を滑らかに縮小していくみたいに。

 そして、気づくと私は地球の外に浮かんでいた。

 どこから地球の外なのかは、本当はわからない。だって境界線があったわけじゃないから。でもとにかく、私はもう空気がないだろうというあたりに、気がつくと邪神と一緒に浮かんでいた。私の両足、その先の方に目を向けると、そこには地球が浮かんでいて、その球の端の方には夜と昼との境目があった。

「綺麗……こんな夢、初めて見た。ありがとう」

 私は無重力の中、邪神と名乗った夢の中の存在に心から感謝した。

 邪神といいつつも所詮、小学生の私の見る夢。

 こんな感じでファンシーに終わるのだろう、と、私の中には安心というか甘えのようなものがあったのかもしれない。

 それを見越したのか、邪神はふふふ、あはは、ははははは、と笑い始めた。

「あぁおかしい。おろかな小娘よ。オレがこんなファンタジー的な夢に付き合ってやってるのは、お前をこれからどん底に突き落とすためのタメを作っているからだ。高いところから落ちた方が落差によって衝撃は大きくなるのだ」

「ふーん。でもどうせ夢なんでしょ」

「おっと。小娘よ。確かにこれは夢だ。だがな、夢には何の現実的な力もないと思っているのか? だとしたらそれは勘違いだ」

「だって夢の中でどんなひどい目に遭おうとも朝になったら目が覚めるんでしょ。じゃ、あなたがどんなことをしようとも結局、私は安全じゃない」

「それはどうかな。夢とはお前の心の中でのドラマだ。そして心の中で起こることには、お前の心を変える力がある。これからオレは、お前の心の深い部分、おまえ自身ですら触ることのできないブラックボックス的な部分に、この邪悪の種を埋め込む」

 邪神は私に手の平らしきものを広げて見せた。そこに乗っている、小さな黒い毛虫のようなウネウネする気持ち悪いものを私に見せた。

 今ではもう完全に苦手だが、当時の私はまだ虫に耐性があり、むしろスマートフォンでゲームすることに飽きたら、たまには虫取り網と虫かごを装備して、おばあちゃん家の裏山を一人で駆け回ることもあった。

「だからぜんぜん怖くないんだけど。虫なんて」

「愚かな。これは虫ではない。邪悪の種だと言っただろう。これをこれからお前のハートの深い部分に埋め込むわけだ」

「そうするとどうなるの?」

「お前はいわばヤンデレになる」

「ヤンデレ?」

「小学生のお前にはわからない単語であろう。しかしこれからお前にかけられる呪いの種類をもっとも端的に表す単語がヤンデレなのだ。ヤンデレとは好きになった相手を殺さざるを得ない呪いをかけられたもののことだ」

「なんでそんなこと。そもそもあなた誰?」

「オレは邪神だ」

「邪神って何?」

「邪悪なる神だ」

「神って何?」

「オレの理解する限りにおいて神とは大きく分けて二種類に分けられる。この世の万物と存在するすべてのことを神と呼ぶとき、これは抽象的な神だ。そのように、無限大や、存在が存在することそのものをさして神と呼ぶとき、それはいわばそれはイエス・キリストが言うところの父であり、あるいは仏教で言うところの空でもある。そんなすべてを包み、包まれているすべてでもあるもの、それをさして神というときがある」

「へー。あなた、物知りで頭がいいのね」

「まぁな。そしてオレはオレで神と呼ばれていた存在だが、オレは父やら空やら仏やらという抽象的な神とはまったく違う。そう、神という単語にはもう一つの使い方があるのだ。それは多神教的な神、具象的な神。例を挙げれば、トイレの神様や、雷の神様や、愛の女神様や、学問の神様や、とにかくいろいろ、何かしら、具象的な、限定的なものにまつわる、その背後にある目に見えない力、しかし人知を越えた巨大な力を持った不思議な存在を神と呼ぶときもある。オレはそのような意味で神なのだ」

「へー」

「しかもオレは邪悪な神だ。だから邪悪なことを沢山してきた」

「たとえば?」

「人類の頭をおかしくしたり、生け贄を要求したり。それに従わない部族はひどい目にあわせたり。部族と部族を殺し合わせたり。邪悪な儀式を考えて、それを村どころか世界中に定着させたり。いやー、あのころは楽しかったなぁ。お前が今日、汚したあの聖域は、オレのホームグラウンドだ。あそこで様々な邪悪な儀式が行われてきたのだ。思い出すとメンタル的に興奮してくるぜ。オレが本気で考えたあのとんでもなく倒錯的な儀式を、あの素直な村人ら全員が本気でやってたなんて、思い出したらたまらないものがあるぜ。ほんとにあのころは凄い時代だったぜ」

「えっ? あの場所、家から近くて、しかも誰も来なくて、居心地が良かったから、あそこでゲームしてただけだよ。汚してないよ」

「いいや、お前はオレの家を汚していった。証拠にこれを見ろ」

 邪神はポケットらしきところに手を入れると中から何か取り出し私に見せた。

 それはポテトチップスの袋。

「あ! ごめんなさい」

「ほら見ろ。お前はこれをオレの家に捨てていったんだ。最近はオレの居場所はあそこしかないのに」

「わざとじゃないんです。ただ忘れていっただけで。ごめんなさい」

「いまさら謝られてももう遅い。お前はオレに目を付けられてしまったのだからな!」

「目を付けられるとどうなるの?」

「こうなるんだよ。愚かな小娘め」

 邪神は黒い毛虫状の気持ち悪い何かのアイテムを持った手を、私の胸に延ばしてきた。その手は私の肋骨を通過し、心臓のあたりにまで入ってきて、邪神はそこに毛虫状のアイテムを設置した。

「ちょっと、やだ、何これ、気持ち悪い……」

「そうだろう。お前のハートにもう二度と取れない闇を植え付けた。これでお前はもう一生、いや来世でも、来来世でも、ずっとヤンデレだ。もう消えつつある邪神といえども、まだオレにも小娘一人の人生をめちゃくちゃにしてやるぐらいの力は残っているのだ。どうだ、絶望的だろう」

 私は夢の中で、どうもこれは本当のことらしいと、直感的に悟りながら、でも邪神に向かって反論していた。

「別に絶望的じゃないもん」

「なぜだ? もうお前は普通の恋愛どころかまともな人付き合いすらできない呪われた存在になったのだ。まだこれをただの夢だと思ってるのか」

「ううん。ゴミを拾わなかったせいで、私、呪われちゃったんでしょ。それでもし今後、誰かのことを好きになったら、その人のこと、殺しちゃうんでしょ」

「そうだ。どこからどう見ても絶望的な状況だ。しかもこれは、もうオレの力を持ってしても解除できない呪いだ。お前のような将来性のある若者に、こんなとてつもない呪いをかけるオレの邪悪さにオレ自身驚いているところだ」

「別に私、誰のことも好きにならないから、なんの問題もないもん」

「ははは、バカめ。お前はまだ小学生だからわかるまい。人間の情というのは強力なものであって、いずれお前は死ぬほど苦しむはめになるのだ」

 そうだろうか。

 もうすぐ私は三十歳になる。

 いまのところまだ私は苦しんでいなかった。

 2

 苦しんでいなかった。

 いや、それは正確ではない。

 苦しんだことは、確かにある。

 あれは高校生ぐらいのときだ。

 私はとある部活動をしていた。

 その部活動は楽しく、また、周りには、魅力的な人々が多く存在していた。

 その中の一人の異性に対して、私はじわじわと私の中の恋のメーターが上がっていくのを感じた。メーターが五十パーセントを超える前に私は退部した。退部しそしてその勢いで高校を中退した。

 またあるとき、私は道を歩いていた。

 すると向こうから歩いてきた男性が私に道を聞いてきた。その瞬間、なぜか私の中のメーターは瞬発的に八十パーセントを超えた。そしてそのとき私の中のヤンデレのスイッチが確かにカチリと音を立てて入ったのを私は感じた。この人の全てを永久に何もかも私だけののものにしたい。その欲求に飲まれる寸前、私はその男性にでたらめな道を教えると、踵を返してその場から逃げ出すことに成功した。危なかった。私はそれ以来、しばらく、昼間、外には出ないようになった。

 しかしそれ以降は何の苦労もしていない。

 小学生の頃から、あの呪われた日よりもずっと前から、私はきっと、テレビで言われているような恋愛はしないという直感があり、私の意思としても、そのようなことはするつもりもなかった。

 だから呪われても別にそんなに実害は無いとわかっていた。むしろその呪いによって、自分の道が明確に見えた。

 私は中学生のころからスマートフォン向けのゲームを作り始め、高校生のころにはそれで十分、自活できるだけのお金を稼いでいた。大学には行かなかった。人を好きになる可能性が多いからだ。また私自身、人を好きになるという体験をすることを望んでいなかった。

 私は人を好きになると言う体験をすることを望まなかった。

 それは弱くなることであり、自分にないものを人から得ようとすることであり、コントロールして奪おうということだ。

 私がヤンデレの呪いをかけられてなくても、もし私が誰かを好きになったら、そのとき私はその人から何かを奪いたいという願望に駆られたということであり、奪おうとするということは、自分の中に欠けている何かがあるのを認めることであり、私はそんなことは認めないし、もし何かが私の中に欠けているとしても、それを他人から奪って埋めようとは思わない。もし私の中に欠けている何かがあるならそれは自力で埋めるし、それは自力でしか埋まらない。

 小さい頃から私はそう思っていた。

 だから呪いはむしろ嬉しかった。

 私が思っていたこと、その通りに生きることを、呪いという形で、強制してもらえたのだから。

 もし私が邪神に呪われていなければ、私はこのような生き方をすることを、もっと悩んでいたと思う。

 でも呪ってもらったおかげで、迷わずに、外で何かを得ようとするのではなく、自分の中で何かを得ることを一直線に学ぶことが出来た。また、奪おうとするのでなく、与えることを学ぶことが出来た。それによって確かに大きく空いていた心の中の空洞を埋める方法を学んだ。

 心の中の欠乏感、それを自力で埋めるための具体的テクニック。

 それは端的に言えば、INとOUTの方向を逆にすることだった。

 外から何かを取り入れて自分の中を満たそうとするのではなく。

 内から自分の欲しいものを沸き立たせて、それを外に広げること。自分の欲しいものを自分の中から生じさせて、それを人々に与えること。私は、愛されている、尊敬されている、大切にされている、価値がある、という感覚を想像、創造し、それを自分の作るゲームに埋め込み、ゲームをプレイした人もその感覚を体験できるようにした。情熱、陶酔感、とろけるような気持ち、その中で完全に満たされる感覚などもゲームに埋め込み、人々に伝えた。その作業によって私はそれらの感覚に満たされ、それは無限に湧き続けるようになった。

 そして私は人の目を避ける必要が無くなったのを知った。

 外にある何かを見て、自分の中の欠乏に気づき、外にある何かを求めたくなることは少なくなり、また、もし外にある何かを見て、自分の中に何か欠けているものがあると気づいたなら、それを即座に愛で満たすことができるようになったからだ。そして、そのようにして自分を満たし、満ちた状態で外を見た時、どのような人々も、私と同じ仲間であると感じられるようになったからだ。

 仲間として感じられるすべての人々に、私はその人が受け取れるだけ、愛情を注ぐようになった。そんなやりかたで私は人と深くつき合えるようになった。私と同じような愛情を発している人からはそれを受け取ることもできるようになった。それは欠けているものを奪うということではなく、湧き上がるものを与えあうという行為であり、それはヤンデレの呪いを誘発しなかった。そのような人付き合いの中で、私はとても相性の良い人と出会い、私はその人と身も心も深く愛し合い、私はその人と結婚した。

 *

 結婚式の夜、夢で久し振りに、あの人と会った。

 邪神。

「よう、お前、そんなことでオレの呪いを回避できたと思ってんのかよ」

 昔の不良めいた口調で難癖をつける邪神。その影は薄くもうずいぶん姿は小さくなっている。邪神が実際に縮んでしまったのか、私の背が伸びたのか、それともその両方か。

 呪いは消えず、お前は欠けているものを満たせないのだというような内容のことを邪神は私に伝える。私は彼の言うことを少しだけ真に受け、ドキドキしてくる。それは胸に穴のあいたような感覚。寂しいような、くすぐったいような、懐かしいような。私はその感覚に愛情を注ぐ。そして邪神を抱きしめ、彼に愛情を注ぐ。邪神が私を呪っているなら、邪神と私の間には、エネルギーのラインがつながっている。だから邪神は私の愛から逃れられない。

 私の腕の中、胸の中で、邪神は少しずつ柔らかくなってくる。邪神の過去のストーリーが少しずつ心に伝わってくる。

 邪神は地球の外からやってきた。

 地球に居着いて、昔の地球人を扇動して、私だけじゃなく、大勢の人に、欠乏感と、ヤンデレ性を埋め込んだ。

 それによって、好きなものを奪う、殺す、傷つけるという行動パターンが地球人には深く埋め込まれた。大勢の人が遺伝的にまだそのパターンを持っていて、また、ダイレクトな呪いによって、私もそれを持っている。

 私は人類全体の欠乏感とヤンデレのパターン、そして邪神に愛情を注ぎ続けた。夢の中の時間一杯を、邪神と彼が生み出した心の穴を愛することに使った。そして、この闇のパターンを体験し、それを乗り越えて自分の強さを知る経験を与えてくれたことを邪神に感謝し、とても久しぶりに私は夢の中で空へと飛んだ。邪神を抱えて宇宙へと向かった。月を超え、惑星たちを超え、太陽系の外で邪神に聞いた。

「お前はどこからやってきたの?」

 あっちのほう。

 いつしか眠たそうな子供のように私の胸の中で丸くなっていた邪神は、とある星座の一角を指さした。

 私は邪神をそっと押しだして、そちらの方角へと手放した。

 まもなく邪神は星星の合間に消えて見えなくなっていった。

 いつか故郷にたどり着き、そちらで彼も彼らしい生き方を再び身につけるだろう。

 そして私たちはここで私たちらしい生き方を思い出していくだろう。

 地球からは邪神の影響が日に日に薄れていった。

 そして人々は、やっと本来の自分たちらしい人付き合いの方法を思い出して、楽に喜びに溢れて生き始めるようになっていった。