コンビニで売っている『とあるもの』を使うことで、筋肉トレーニングの効率を飛躍的に向上させることができるらしい。

 らしい、というのは、『とあるもの』が一体何なのか、それをどうやって使うのか、などという核心部分を僕がまだ知らないでいるからだ。

 しかしそれを知るには二万九千円を振り込んで、この情報が書かれている文章を、昨日見たホームページから買う必要があるのだった。銀行振り込みだけでなく、PayPalというオンライン決済サービスやクレジットカードでも買えるという。

 でもクレジットカードは持ってない。中学生だもの。

 銀行振込の仕方はわかるけど、二万九千円は持ってない。今年のお年玉も残ってない。もう十月だもの。

 裏山は紅葉していた。

 ふと空を見上げると、お昼三時の日光に照らされた紅葉が輝いていた。

 朝は小雨が振っていたから、森の中の遊歩道はまだ少し湿っていた。

 僕はスニーカーだからいいけど、となりを歩く瞳ちゃんは大人っぽい踵の高い靴を履いている。

「歩きにくくない?」僕は訊いた。

「平気だよ」瞳ちゃんは答えた。

 瞳ちゃんは兄の恋人だ。

 兄は何年か前に、チベットの奥地にあるという伝説の聖なる地とやらを目指して旅に出たあと消息不明になっていた。

 どこかで生きてるけれど、スマホの電波が無いからメッセージを送ってこれない。そんな状況になっているのでは。

 それが弟としての僕の勘だ。

 ううん、メッセージは送ってきてるわよ。毎晩、テレパシーで話し合っているわ。『私たち、このまま遠距離でやっていけるのかしら』とか『私たちの関係性をあなたは今後どうしていきたいと思っているのかしら』とか、そんなリアルな話をね。

 それが瞳ちゃんの恋人としての主張だったが、僕としては半信半疑だった。いつも漫画を読んで床で転がっていた兄が瞳ちゃんのような大人っぽい女の人と、そんなドラマのような会話をするなんて夢物語のようだ。

 それに本当は、兄はチベットの暴動に巻き込まれて死んだ。それが僕の常識人としての見解だ。

 テレビのニュースでもそう言っていたし、両親もそう言ってるし、僕もときにそう思う。そしてそのことに少し、罪悪感を感じる。今も。

 僕は何も口に出してないのに、瞳ちゃんが言った。

「まぁ君がそう思ってるならそう思ってるで別にいいわよ」

 瞳ちゃんはとても勘が鋭いのだった。

「ポータル、つまり向こうとの扉はまだ開いていない。だから、物理的接触はまだまだ先のことになるでしょう。見えないものを信じるのは難しいことよ」

「ふーん。そっかー」

 そう相槌を打ちつつも、瞳ちゃんの言ってることは、たまに意味がよくわからないのだった。

 瞳ちゃんもあまり詳しい説明をしようとはしなかった。大人になればわかるようになるかもしれない。

 とにかく兄が消えてからも毎年、何回か、わざわざ東京から瞳ちゃんが遊びに来てくれる。

 そのたびに、僕はいつも嬉しくなるのだった。

 *

 裏山の頂上には展望台があり、瞳ちゃんが東京から遊びに来ると、僕はいつも瞳ちゃんをその山のてっぺんに連れて行って、山から見える町の景色を二人で眺める。小さな町とそれを取り囲み日差しを反射してきらめいている海、そして赤や黄色に色づいた遠くの山の稜線が見える。

 瞳ちゃんはいつも「綺麗」とか、「いろんな世界を旅したけれど、この町が一番、素敵だわ」とか、何かしら誉めてくれる。

 青空からさらっと降りてくる乾いた風に長い髪を揺らされながら、今日も瞳ちゃんは僕の住む町のことをいい言葉で誉めてくれた。

 僕はいつものように誇らしい気分になった。

「宇宙でこのときが一番、いいわ」

 展望台の手すりによりかかり、僕の隣で風を深呼吸しながらそう呟く瞳ちゃんは、そのときとてつもなく、ほとんど物理的に大きく広がっていると僕には感じられた。僕らを包む青空や、いつも少し怖さを感じるあの海と同じぐらいに。

 しかし瞳ちゃんは怖くはなくて、近くにいると大きな木に寄りそっているような、何か心の一番深い部分が、完全に力を抜いてぺたーとなるような、時間が止まったような安らぎがあった。

 山から下りる途中、緑の中を歩きながら「お互いの、今一番、気になってることは何?」という世間話をした。

 瞳ちゃんが気になっているのは、いま手を着けている仕事に関する専門的なあれこれだそうだった。

 僕が気になっているのは、コンビニで売っているらしい筋肉をつけるための『とあるもの』が、一体なんなのかということだった。

「昨日、学校のパソコンでネットを見てたらそんな情報が売られてるのを発見したんだ。瞳ちゃん、一体なんだと思う? コンビニに売ってる筋肉をつけるための、とあるもの」

「優くん、筋肉が欲しいの?」

「欲しいよ。そしたら格好よくなるでしょ」

「それじゃ、山を降りたら、二人でコンビニに行って、探してみましょう。筋肉がつく、とあるもの。よく探せばきっと見つかるわ」

「やった! 早く行こう!」

 僕は瞳ちゃんの手を引っ張り早足で山道を降りていった。