このままでは世の中から消滅してしまう。それどころか完全に何がなんだかわからなくなる。

 そんな不安に駆られた私は、西新宿にある『キャラクター再生研究所』に向かった。お金はほとんどないので徒歩で向かった。五時間かけてたどり着いた研究所はマンションの一室にあった。呼び鈴を押すと中から着物姿の美しい女性が出てきた。

「当研究所になんのご用ですか?」

「私というキャラクターを再生したくて」

「あら、ごめんなさいね。今日はお休みなのよ」

 バタンと音を立てて扉は閉じた。私はピンポンを連射した。

「何よ、あなた、お休みだって言ってるでしょ」とインターホンから声が。私は涙ながらに訴えた。

「だって、うぐっ、五時間、歩いて、ホームページにも今日が営業の日だって、うぐっ」

「仕方ないわね。おはいりなさい」

 応接室に通された。ソファーで出されたお茶をすすっていると着物姿の女性はお茶菓子をお盆に載せて持ってきた。お茶菓子は色鮮やかで、とても小ぶりなものだったが、私が日常的に食べているコンビニの油系のお菓子に比べて高級なオーラを放っており、それは実際、高級に違いなかった。職人の手仕事によって作られたと思われる黒光りする『鉄砲』のような造形の和菓子。

 鉄砲の形だなんて、変な和菓子。だけど新鮮なオーラを放っている。高級。新鮮。はたしてそんなものが私の口に合うだろうか。

 私は貧しい。心も体も人間性もキャラクター性も貧しいのだ。だから毎日、苦労している。かつては『部長』の役をよくやっていたようだが、今のこの世界ではだいたい、世界背景を担当していて、『人々』や『女たち』や、『同級生』や、セリフがあるとしてもせいぜい『不良めいた女』など、つまり誰であっても担当できるキャラを担当している。だから給料は少ない。いつもカードの支払いができるかどうかのギリギリの額だ。自分のキャラクター性を磨くためのこの業界での標準的バイブルと呼ばれている『これで君も輝けるヒロインになる、そのための千のテクニック~ツンデレからギャップ萌えまで網羅した役立つ症例集~アレキサンダー・メルキゼデク著』も、お金に困って売ってしまった。もちろん売ってしまったら、せっかくリボ払いで買ったその本が全部、無駄になってしまうので、売り払う前に全部、手書きでノートに三ヶ月かけてコピーした。そんなことがお茶を飲んでお茶菓子を食べていると走馬燈のように頭をよぎっていった。お茶菓子の味は『甘い』ということしか認識できなかった。

 私の目の前のソファーに座った着物の女性は問診票を私に差し出した。

「まずはこれ、書いてくれるかしら」

「あ、はい、どうも。書きます」

 私は問診票の乗っているボードの右上についていたボールペンを使って、書類に必要事項を書いていこうとした。しかし一番最初の項目でペンが止まった。

「あの……」

「何よ」

「この、『名前』ってあるじゃないですか」

「あるわね。それが何か?」

「私、名前はないんですけど」

「じゃ、適当に書いておいてください」

「い、いいんですか? 私がそんなの、勝手に決めちゃって」

「もちろんよ。おかしなことを聞く子ね。私だって今は名前は持ってないけど、その都度、必要になったら適当に決めるのよ。みんなだいたいそうしてるじゃない」

「そ、そうだったんだ」

 私は天井を見上げて考え込んだ。視界のすみにエアコンが映っていた。そこに表示されていたメーカー名を参考にして私は名前欄を埋めた。着物姿の女性は書類を覗き込むと驚きの声を上げた。

「透芝あい? なによあなた、センスあるじゃない」

「そ、そうですかね。わたし、センスありますかね」

「あるある。久しぶりに一線級のポテンシャルを持ったキャラがやってきて、私は興奮しているわ。私ね、実はもうこの研究所、畳もうとしていたのよ。そもそも立地も悪いし、キャラクターをあの手この手で魅力的にこねくり回して無理に作り上げるなんて、そんなのもう今の時代にそぐわないと思い始めていたし、そもそも私自身が何の魅力もないフラットな存在だから、そんな私が人のキャラ設定にあれこれ口を出すのはおこがましいと思えてきていたの」

「そんな……しょ、所長さん、魅力的ですよ。着物が似合ってます。それに、ボクサーのトレーナーも、実戦能力がある人がトレーナーとして能力が高いとは必ずしも限らないし、それよりも教える能力があるトレーナーこそが良いトレーナーだと思います」

「ありがとう。そんなこと言ってもらって嬉しいわ。それじゃこれが最後の仕事になるかもしれないけど、あなたのキャラ、精一杯、再生させていくお手伝い、させていただくわ」着物の女性は上品な口調でそう言った。

 それから私のキャラ再生のための研究とトレーニングの日々が始まった。月謝は私にとってはそれを払うのはほとんど不可能に近い額だったが、後日、五年間に渡って、出演作品のギャラの三十パーセントを研究所に支払うという契約をすることで免除してもらうことができた。

 ほとんど研究所に住み込みで私はトレーニングに励んだ。研究所の着物の女性のキャラ再生理論によれば、まず何より大事なのが、瞬間的なギャップの作成能力を得ることが、キャラクターとして身につけるべきもっとも大事なスキルであるとのことだった。

 シチュエーションが与えられるたびに、ほとんど条件反射にギャップを表現できるようになるまで、キャラクター性を血肉にたたき込まれた。

 私は学校を歩いている。

 犬がそこらへんを歩いている。

 瞬間的に私は犬ともっともほど遠そうなキャラを身につける。不良、暴走族、シリアルキラー、異常性癖者、共感能力欠如者のキャラを身につける。悪そうで凶暴そうなキャラを身につける。その足下に犬が歩いてくる。周りにだれもいないことを確認した私は、犬を抱き上げ、その動物に愛情を注ぐ。

 私は道を歩いている。

 私は露出度の高い服を着ている。

 明らかに『遊んでそう』という印象を見る者に与える外見を選択している。しかしその後、判明するところによれば、私は何も遊んでいなかった。

 私は山を歩いている。

 山菜採りのおばあちゃんめいた格好をしてワラビやゼンマイを採っている。もんぺをはき、頭には農作業をするときに被るような帽子を被り首には手ぬぐいを巻いている。しかしクローズアップして見ると金髪の北欧美女である。

 私は宇宙船の中におり艦隊の指揮をとっている。

「総員、がんばれ! 戦闘配置だ! 光子魚雷を敵集団にめがけて打て! ロイエンバッハは右翼から紡錘陣形で突入せよ」そのような鬼神のような勇ましい指揮をとっている。そのため兵士たちの間では私は『ワルキューレ』の異名を持っている。外見は北欧美女である。しかし自室に入れば電気を真っ暗に消して、毛布を頭から被って、兵士たちを守れなかった自分の下手な指揮ぶりによって多くの兵士たちが死んでしまったことを少女のように涙を流して懺悔する。だが翌日、また指揮台にたった私は戦闘殺戮マシーンとして誰もがおそれる仮面を被り非情なる冷徹な指揮を振り下ろし、味方と敵、双方に死の女神の非情なる鎌を振り下ろす。

 そのような数多の皮を身につけて、私はいろいろなシチュエーションの中で輝きを発した。

 十年後、私は売れっ子キャラクターとして名声を博していた。

 売れっ子だけど、私生活は貧乏くさいままだった。そこがまたギャップがあって良いところだった。有り余るお金を持ちつつコンビニ弁当を食べる私。

 おいしい。

 牛カルビ弁当。

 どうしてこんなに安いのに、こんなに油が乗っていておいしいのかしら。どんなテクノロジーが使われているのかしら。

 仕事終わりなどに、より豪勢な気分を味わいたいときには、牛カルビ弁当にプラスして、かきあげ蕎麦と、食後のデザートに杏仁豆腐も付け、『超豪華イレブン定食』として食した。さすがに住んでる部屋は埼玉の築五十年の木造アパートから、都内の、固い部品で作られていそうなマンションへと引っ越したが、コンビニ弁当はいつ食べてもおいしいと感じられる、そんな自分が好きだった。お金の心配をせずに沢山のご飯を食べられる幸せを私は日々、噛みしめていた。

 とはいえキャラクター稼業は日進月歩だ。私の売れ行きが何かのはずみで消滅し、いつまた十年前のような非存在のような者に近づくかもわからない。

 とはいえ私は安心していた。

 理由のない安心。というより安心に理由など必要ない。安心していること、それが通常の当たり前のことだと、いつの間にかわかってきたから。いろいろなキャラになり、移り変わりを繰り返す中で、私の中の変わらない部分、無のような部分、それはずっと永久にそのままだとわかってきたから、私はいつも安心して好きな弁当を食べることができた。

 そんな充実した生活を送っているとある日、研究所の所長が着物を着てやってきた。

「あ、こんにちは、所長さん、お久しぶりです。今日はどうしたんですか」

「早いものね。あなたが私のところから独立してから早五年。その後もますます盛況だそうじゃない」

「えへへ、おかげさまで。所長さんの方はどうですか?」

「うちも、あなたというスペシャルなキャラクターを輩出したという実績ができたから、その後、お客さんも増え、私自身にもトレーナーとしての自信がつき、仕事自体は万事好調に回ってるわ。ありがとう」

「えへへ、どういたしまして」

 私は私なりの精一杯のおもてなしとして、南米などでよく飲まれているという飲むサラダの異名を持つ飲料、買い置きしておいたマテ茶のペットボトルと、冷蔵庫で冷やしておいたスニッカーズを、紙の皿に載せて所長さんに出した。所長さんは上品な所作でスニッカーズをほおばった。

「これ、とてつもなく甘いわね。脳に来る甘さね。感受性のメーターが振り切れそう」

「オレオもありますよ。食べますか?」

「せっかくだからいただくわ」

 私はもてなしとしてテレビをつけた。オレオと一緒に味わってもらうための牛乳を、きちんとコップに入れて所長さんに出した。

 二人でソファーに座りテレビを見ながらスニッカーズとオレオを食べ、マテ茶と牛乳を飲んだ。

 テレビをつけるとやっていたアマゾンの秘境でレムリアのクリスタル・スカルを探すという番組をなんとなく見た。

 番組の前編が終わったところで、探検隊はツタに覆われた寺院の奥で水晶でできた頭蓋骨を発見した。

 後編では、そのクリスタル・スカルによって、何の意味もない情報が収められていると思われていたジャンクDNAと呼ばれている遺伝情報にクリスタル・エネルギーが浸透し、それによって探検隊の古代のDNAが再起動し、IQがアップし、異性にもモテるようになり、現地では神としてあがめられるという事態に陥ったが、すぐにそのクリスタル・スカルの半径五百メートルに入った者には同じ効果が生じるということがわかり、現地人と探検隊の相対的な差はなくなり、神と呼ばれる事態は数日で収束したという成り行きがわかりやすいテロップとともに放送されていた。私達は息を呑んで番組を食い入るように見入ってしまっていた。

『このあとスタジオにレムリアン・クリスタル・スカルが!』というピンク色のテロップが表示されたところで「実は今日、私ね」と、思い出したように所長が口を開いた。

「なんですか?」

「私ね。実は今日、所長をやめててきたの」

「そんな。所長が所長をやめたら、あの研究所はどうなってしまうんですか?」

「大丈夫。助手のまゆちゃんと、ゆうきちゃんが、しっかりと後を引き継いでくれるから。それに関しては何も心配しなくてもいいわ。私よりずっとうまくやってくれるはずよ」

「でも……どうして?」

「あなた、言ってたでしょう。トレーナーとしての才能と、実戦の才能は別だって。私はトレーナーの才能は確かにすごかった。あなたというダイヤの原石を磨き上げてここまでのものにしたんだもの。これは私の中でも本当に誇らしい仕事。でもね、そろそろ私も、キャラクターとしての実戦の方、そっちの方をやってみたくなったの。才能はないかもしれないけど」

「しょ、所長……本気ですか? 大丈夫なんですか?」

「大丈夫じゃないかもしれない。でも、今まで積み上げてきたものを全部捨てて、ただの無名の一キャラとして、自分の力を試してみたいの」

 そう所長は言った。それから私たちはしばらく無言でテレビを見ながらお菓子を食べ続けた。番組のスタジオには黒い布がかけられたクリスタル・スカルが台に乗って運び込まれてきていた。これから布の覆いが取り去られ、スカルから四方へとクリスタル光線が放射されるそうだ。スタジオの壇上に横に並んで座っている探検隊のメンバーは、スカルの光の効果によって、DNAが進化し、それによって肉体自体が光を発するようになっており、元は平均年齢四十歳後半だったメンバー全員、その見た目の平均年齢が、二十代にまで若返っており、しかも全員、美しくなっていた。元はめがねやコンタクトをしていたメンバーは視力が治り裸眼で映画が観られるようになったそうだった。知能もあがり、仕事の効率もアップですよ、それどころか全員、ニコラ・テスラ並みの天才的能力が身につきましたよ、とリーダーは言っていた。探検隊メンバーは全員、むしろ壇上の前列の方に座っている芸能人よりも圧倒的な華やかな雰囲気をナチュラルに放射していた。そんな凄まじい効果を持つレムリアン・クリスタル・スカルの光が今、スタジオだけでなく、テレビの電波を通してお茶の間にも届けられる。『どうなってしまうのか? 世紀の瞬間はCMのあと!』というピンク色のテロップが出て、私の自慢の8Kテレビは、シャンプーのCMを映した。

「あ、わたしこれ使ってますよ」とわたし。

「へー、どう?」と所長。

「結構いいと思いますよ」とわたし。番組に集中していたので、CMはちょうどいいリラックスタイムだった。CMに登場する商品や最近のCMの映像技術の進化についてとりとめもないことをわたしと所長は話した。その後、レムリアン・クリスタル・スカルの覆いは取られ、スタジオとお茶の間に眩しい水晶的な性質を持った光が広がっていった。『効果は三日後から現れるという……!』というピンク色のテロップのあと、まもなくレムリアン・クリスタル・スカルに関する番組は終了し、どこかで見たことのある芸能人が温泉街で温泉に入り美味しそうなものを食べるという番組に変わった。

「そうだ所長、明日あたり行ってみませんか? この温泉宿」

「え? そんな、いいのかしら。私、修行をしなくちゃいけないんじゃないかしら。キャラを立てていくための」

「その、いつも着物を着ているという属性を強調していくために、温泉はいいと思いますよ」

「あ、そうなのね。さすがね、それじゃ行きましょ。温泉」

 そして私達はスマートフォンで温泉宿を予約した。明日、東京駅で会う約束をして、夜、所長はどこかに帰っていった。

 私は布団の中で思った。

 明日、お風呂の中で、所長の名前を一緒に考えよう。いい名前が思いつくかもしれない。あるいはどう頭を捻っても平凡な名前しか、あるいは奇をてらいすぎて逆につまらない名前しか思いつかないかもしれない。すべては時の運、あるいは、私達には把握できない大きな運命の流れの中。

 だからうまく行くときもあれば、うまく行かないように見えるときも、どちらのときもあると思う。

 そしてもし所長がどんなふうになっても、何をどうしてもキャラが立たず、温泉で着物を脱いで、湯の中、頭を捻り考えたけど名前も思いつかなくて、露天風呂の湯気の中、月明かりの下、気持ちよさそうにお湯に浸かり、諦めて深いリラックスの溜息を付く名前もないその人の、見た目すら誰にも想像することができない、口調もどんなのだったかわからない、そんななんだかよくわからない無にその人がなってしまったとしても、でも私はそれでいいと思うよ。

 なんだかよくわからない無のような自分、それはとてもいいものだと思うよ。

 無でもあなたは、とても大事な、大切な人だよ。

 私もあなたも同じようなものだよ。そして私もあなたも、無限にかけがえのない、一番大切な、大事なものだよ。

 そんなことを明日はきっと、所長に伝えてあげよう。

 そんなことを考えて微笑みながら、私は夢の世界に旅立っていった。