私、山田うさぎ。肉体は十二歳。精神年齢はわかんない。

 月見ヶ丘の穴に住んでいるの。

 穴の中にはちゃぶ台とテレビとオセロがあるの。

 オセロの相手をしてくれる人はどこにもいないの。

 月見ヶ丘には私以外、誰も住んでいないから。

 穴はだいぶ以前に数えた記憶が確かなら、数千はくだらない数が丘の側面に規則正しく並んでいて、台風にも負けない木の戸によってその入口は塞がれているの。

 開けっ放しだと雨や風や埃が入ってきて、住居としての用をなさないから、穴の入り口に戸がついているのは当然なの。

 丘の斜面に縦横に並ぶ木の戸には、穴番号が書かれたプレートが埋め込まれているの。そのプレートには自分の名前を書いた紙を入れるスペースもあるの。

 私の穴番号は『こー394』

 その番号の下には山田うさぎと記された紙が、半透明のプラスチックの下で、少し湿ってよれよれになっているの。

 これを見た誰かが訪ねてきてくれるのではないかしら。

 この表札を出した頃にはそんな期待を持っていたのだけど、もうかれこれ何百年か、誰も私のところには、やってきてくれていないの。

 *

 ちゃぶ台の前で「やってきてくれていないの……」と呟きながら、私、山田うさぎは考えた。

 この丘の斜面に開いた数千の穴、その表札はどれも空白だった。

 月見ヶ丘はいいところなのに。

 なぜこうも過疎化しているのかしら? 私には理解できない。

 これから先どうしようか? 選択肢は二つあった。

 あまりにも寂しい。だから月見ヶ丘を出て、どこか他の場所に行く。

 あるいは。あまりにも寂しい、けど、愛着のある月見ヶ丘を捨てるなんて出来ないから、ずっとこの場で生きていく。

 もちろん私は毎日、後者を選択し続けていた。

 だから今もこの穴の中で暮らしている。

 穴の中には生活に必要なすべてが完備されている。

 食べ物は床の穴や天井から湧いてくる。

 上下水道その他いろいろな設備は丘全体が永久的にそれを賄う。

 ちゃぶ台に足を引っ掛けて転んで首の骨を折ったなどして、怪我をしたり、最悪、肉体が滅びてしまったときも、穴の奥から自動的に再生できる。

 テレビをひねれば各種の放送が自動生成されていて、それは私のその瞬間瞬間の精神状態にベストフィットした番組を私に見せてくれる。テレビの登場人物は私と同じような全裸の人間だ。ほぼ私と同じ姿形の全裸の少女が、私が面白がることについて、何かを話したり演じたりしている。

 チャンネル1では主に教育的な番組が放送されている。自己の精神をコントロールする方法や、ハートを開くための方法について、実際的な場面を例とした寸劇が放送されている。

 チャンネル2では主にドキュメンタリー番組が放送されている。この宇宙の成り立ちや、次元の構造について、各種の図形を用いたわかりやすい番組が放送されている。

 チャンネル3では主にお笑い番組が放送されている。

 チャンネル4では主にテレビゲームの実況が放送されている。

 チャンネル5では主に身体の健康に役立つ体操が放送されている。

 チャンネル6では主に今日の月見ヶ丘と私の状態について放送されており、それを見ると、だいたいの天気や、自分のバイオリズムや精神状態や運勢がわかる。

 出演者は全裸の少女だ。私にそっくりなその子が笑ったり、軽妙なトークをしたり、複雑な科学的、心理的抽象概念について、たまに人形劇を交えるなどをした、わかりやすい講義をしてくれる。

 それらの番組はどれも面白くためになり、私は深く満足する。室内は常に最適な気温に調整されているため衣服はいらない。仮に穴の外に出たとしても気温は丘の周辺では私の理解を超えた機構によって調整されているようなので、やはり全裸で構わない。月見ヶ丘の四季は多彩で、桜の日もあれば嵐の日も、豪雨の日もあるが、なんにせよ全裸で快適だ。

「しかし……」

 私は全裸であぐらを組んでテレビの前に座りダイヤルをガチャガチャ回しながら考えた。

 しかし、永遠に、このままここで一人でこうしているわけにもいくまい、と。

 だが、なぜ、永遠に一人であってはいけないのか?

 永遠に一人で、「誰もやってきてくれないの……」と、かわいそうな幼女のようなことをつぶやいていれば、それでいいのではないのか。

 いいや、このままではよくない。

 変える必要がある。

 そんなことを思う動機のひとつは愛だ。

「そう。私、月見ヶ丘が好きなの」

 そうつぶやき、戸を開けて、穴から首を出して外を見る。

 夜、空にはワタアメのような雲が浮かんでいる。

 星星は真っ黒な紙を針でつついて開けた穴のようだ。そのピンホールの向こう側から、眩しい光が、こちらに向かって差し込んできているようだ。

 全部、幼女的な比喩的な表現である。しかし実際に月見ヶ丘の風景はいつもどことなく、良い意味で作り物めいており、実際にそれはあえてそのような味を醸しだすように造られた人工物であるのだろう。再生するたびに幼女の肉体を選択している私の趣味に合わせて世界を作ってくれているのだろう。この月見ヶ丘の意思のようなものが。

 だとしたら、私は月見ヶ丘に何かお返しをしたい。

 この丘は過疎化してエネルギーを持て余している。

 本当はこの数千の穴いっぱいに人々を収容できるポテンシャルがあるのだ。

 それなのに今は私一人しかいない。

 私は寂しくないけれど、月見ヶ丘は寂しそう。

 自分の力を持て余すのは、きっと苦しいことだと思う。

 だから……。

「呼ぶ必要があるの。誰か他の人を、なんとかしてこの丘に、呼び寄せる必要があるの」

 私は月を見、星を見、遠くの地平線を見ながら決心した。

 彼方の地平線、その上には、電気的な緑色を帯びた雲が浮かんでいた。

 あの緑色、あれはきっと、人工の光に違いない。

 あの雲の下にきっと、緑の光を発する街があるのだ。

 そこから人を呼び寄せるのだ!

 *

 そんなこんなで月見ヶ丘に住民を呼ぼうプロジェクトが私の中で始まった。

 まず必要なのが衣服だった。

 住民がやってきたら、全裸で会うのはまずい。

 テレビに頼んで、この世界に暮らす他の人間たちの文化を教えてもらった。テレビの中の、ほぼ私と同じ姿形の少女が言うところによれば、どうも全裸で朝から晩、晩から朝まで過ごし、そのまま数百年が経過し、肉体を五個も六個も脱ぎ替えたのは、この世界では私ぐらいのもののようだ。

 テレビの少女は口頭で説明した。

 通常、他の人間たちは、私の穴にあるテレビをより一層機能拡張したような腕輪をはめていたり、感情の動きに合わせて毛足を逆立てる機能を持った肉体言語拡張ウェアとやらを着ていたり、あるいは、それを着ることによって何かの感覚や思想や抽象概念を表現できるおしゃれウェアというものに身を包んでいる、と。

 一方、私のように年がら年中、全裸でいるというのも、それはそれで逆に何らかの強い主義主張を持った存在として見られるそうだった。当然、私は全裸であることに何の主張もない。ただ服を着る必要性を感じないから全裸でいただけだ。

「…………」

 私は思った。

 どうやらそのライフスタイル、とうとう変える必要があるようだ、と。

 そう、私も何らかの感覚や概念を他人に向けて表現するためのおしゃれウェアを着てみたい。むろん全裸で人の前に出て、それによって全裸に関する何らかの概念を主張していると勘違いされても、それはそれで構わない。勘違いするのは他人の勝手だ。だが私とて、せっかく近くに人がいるのだとしたら、その人に対して、自分の何かを表現してみたいものであると、素直にそう思うのだ。

 だからまずはおしゃれウェアを調達しよう。

 調達。

 だが、どうやってそんなことすればいいんだろう?

 必要な物はなんでも勝手に穴の中に湧いてくる。

 食べ物や飲み物は床や天井から湧いてくる。

 今まで必要な物はそれぐらいだったから、それでよかった。

 しかし今、おしゃれウェアが心底欲しいと思っている。

 思っているだけでいいのだろうか。

 わからない。

 だがとりあえず思っておく以外の方法が私にはわからなかったので、人を呼び寄せると決心したその夜、そしておしゃれウェアが欲しいと思ったその夜は、とりあえず、ただ漠然と、おしゃれウェアが欲しい、欲しい、欲しいという願望を心の中で発しながら、床に転がって寝た。

 *

 翌日、目が覚めると、私の顔の前の床に、何かゴワゴワしたものが落ちていた。

 身体を起こし、そのゴワゴワしたものを拾って広げてみる。

 それは今まで見たことのない何かだ。

 いや、違う。

 これはテレビが口頭で説明してくれたアレに違いない。

 おしゃれウェアだ!

 床から湧いてきたか、天井から落ちてきたのだ。

 私はおしゃれウェアを床に広げ、どういう構造になっているのか調査した。

 そのウェアは二つのパーツに分かれていた。

 私は仮に、それらをAパーツ、Bパーツと名づけた。

 Aパーツには穴が四つ開いており、Bパーツには穴が三つ開いていた。

 私はその穴の数の意味を、テレビ講座で学んだトポロジーという数学的概念を援用して分析した。三と四。さっぱりよくわからなかった。そこでトポロジーの次は、ヌメロロジーという概念を使って意味を読み取ろうとした。結果、Aパーツは『安定』や『豊穣』、Bパーツは『女性性』や『受容性』という意味を持っているとわかった。しかし結局、それをどのようにして肉体にまとわせればいいかはわからなかった。そこで私はAパーツ、Bパーツをつかみ、それを肉体にスパイラル状に巻きつけてみた。螺旋の上昇性が表現できたように思い、私は嬉しくなった。

 だが、手を離すとそれは床に落ちた。

「そう、手を離すと落ちるのね。ということは、ウェアを身に定着させるには、なんらかの特殊な方法で、それを重力に負けなよう、固定する必要があるのね」

 私はその日一日を、ウェアの研究に費やした。

 夜にはとうとう、ウェアを床に落ちないよう自分の体に固定する方法の解明の糸口に達した。

 ヒントはやはり穴だった。

 その穴に自分の肉体を通すことができるという発見がブレイクスルーをもたらした。

 私はどの穴に肉体のどのパーツを通せばもっとも安定するかを探るために、総当りで穴と肉体パーツの組み合わせを試していった。結果、Aパーツの巨大な穴に、まず上半身を入れ、そののちに残りの三つの穴から手と首を出すという手法によって、Aパーツを上半身に安定的に固定できるということがわかった。となればBパーツには、肉体の残りの突起物を通せば良い。

「オーケー、これで完璧ね!」

 私はウェアを身にまとうことができた満足感に浸りながらテレビのスイッチを入れた。

 その夜、テレビの中の少女もまた私と同じようにおしゃれウェアに身を包んでいた。

 テレビの中の少女はウェアを身にまとった私を見て、満足気にうんうんと頷いていた。

 私は思った。

 次はもうちょっとデザインを洗練させてみたい。

 なぜなら。

 漠然とウェアが欲しいと思った、その漠然とした願いから生まれたウェアだからか、デザインがどうにも漠然としていて、それが何を表現しているのかまるでわからない。それを着ている人間のイメージまでもが漠然として感じられる。ウェアを着たテレビの中の少女も、いつもの全裸姿に比べ、なんだかフワフワとした、つかみ所のない存在に感じられる。

 こんなことではわざわざおしゃれウェアを着た意味がない。

 もっと、自分はこういう人間です、という主張を、ウェアを通してしていきたい。

 そのためには、漠然と、ではなく、具体的に、これこれこういう意味をもったウェアが欲しいと、願う必要があるみたい。

 よし、今日は、昨日よりももっとソリッドなお願いを胸に秘めて寝よう。

 そう思った。

 そう思いながら、床に寝転がって、身体を丸めた。

 しかし、私の心に浮かぶのは、どうしても、ソリッドなお願いではなくて、漠然とした、あやふやな、霧のようなイメージ。

 欲しいおしゃれウェア、そのイメージが見つからない。

 色はどんな色?

 緑かしら、赤かしら?

 緑であればそれは木の色、苔の色、勝手に育っていくものの色、太陽と仲の良い存在の色。

 赤であればそれは夕日の色、夕日に手を透かして見た手の中の色、それが表現しているのは暖かさであり熱でありエネルギー。

 でも私ってなんなの?

 どんな存在なの?

 太陽には役割があり、緑には役割があり、丘の外の木々にも役割があるはずなの。

 でも私には私の役割がわからないの。

 だからどんなことを表現したらいいかわからないの。

 おしゃれウェアで何を表現したらいいかわからないの。

 だから寝る前の心の中は、霧の中のようにあやふやなの。

 どうすればいいの?

 どうすれば、いいの……?

「こうすればいいのよ」

 眠れないので、テレビを付ける。

 すると、あやふやな衣服を着た少女が、その衣服を脱ぎ捨てて、全裸になる。

 そして、どこからか取り出した、薄い紙が沢山重なったもの、それをペラペラとめくり、どこからか取り出した先の尖った棒を、素早くその紙の上に走らせた。そして少女は顔を上げ私を見ると言った。

「これはノートとペン」

 これに書いていけばいいのよ。なりたい自分を、ちょっとずつでいいから。

 そしてテレビの中の少女は床に寝転んで足をぶらぶら揺らしながら、ついにはそれを見ている私のことを忘れたように、熱中して、集中して、夢中になって、ノートに何かを書き込んでいった。少女がノートに何かを書くたび、少女が身にまとったおしゃれウェアは次から次へとアップデートされていった。

 アップデートされるたびに少女のおしゃれウェアが表現している何かの意味は、より少女の本質に近づいていくように思われた。それとともに少女はおしゃれウェアだけではなく、身の回りの環境についての願いもノートに書き入れ始めた。

 少女の周りの環境は次々と移り変わっていった。

 衣服の次は住居だった。土を掘っただけの穴から、木の床と壁のある穴、そしてクリスタル製の内装がある穴へと。そしてついに少女以外の人々のことまでもがノートに書き込まれはじめ、新たなる登場人物が次から次へと呼び込まれ始め、登場を始めた。父、母、姉、妹、兄、いとこ、親戚、学校の同級生、下級生、教師、地域の顔見知り、沢山の会社とそこで働く人々、眼には見えないところで暮らす、眼には見えないけれどそこで生きているまだ知らぬ大勢の人々。そのすべてがノートに書き込まれ、その願いとともに現実のものとなっていった。少女は豊かな世界に暮らし、その世界と少女の多様で豊穣な関係性の中、人々と少女が織りなすダンスを踊るような滑らかな協調的創造活動が、自然に花開いていった。

 私は今、テレビの前で、あっけにとられて、それを見ていた。

 私にこんなことができるか。

 自分が欲しい全部のものを、創造することなんてそんなこと、私にできることなのか。そのうえ創造したものとの良好な関係性を築くことなど、私にできることなのか。

「もちろんできるよ、もちろん」

 テレビの少女がすべてのものに取り囲まれて言う。

「だって今も、あなたはそうしてるのよ。あなたの周りにあるすべてのものは、あなたがいつか昔に作ったもの。今も昔もずっと永遠に、あなたはすべてを作り続けているのよ。そのことを思い出して。楽しんで」

「楽しんでいいの?」

 もちろん! とテレビの少女が頷く。

 そうか。

 だったら、と私は安心して、まずはノートと鉛筆のイメージを、今夜の夢の願いとして、心に抱えて横になった。

 そして今、床の上で、丸まって寝ている。

 自然に穴は暗くなる。その心遣いに感謝しながら目を閉じる。

 暗闇の中、口元に、笑みが浮かんでいるのがわかる。

 明日の朝が、待ち遠しいな。